母子像東京大空襲・戦災資料センター

来館された方の感想ノートから

センターの2階に置かれている「感想ノート」に記載いただきました内容は、すべて記録し、保存しています。今回は昨年7月から今年1月のノートから抜粋させていただきました。(2013年2月に発行された『戦災資料センターニュース No.22』より転載)。


感想ノートから ☆非体験世代の声・思い

海道で生まれ育った私は、戦争を身近に感じていなかったのかもしれません。こうやって資料や映像を見ることで、戦争の悲惨さを感じました。広島・長崎と変わらなく、大きな被害を出したこの東京大空襲を忘れてはいけないと思います。公民科の教師になった時、生徒に伝えていきたいと思います。[北海道大学 S.N.さん(女性)]

学の授業の“文化人類学”という講義の調査のためにこちらにやってきました。戦争を経験したことがない私たちが、平和主義を唱えて戦争に反対していますが、私達はどのように戦争を知っていけばよいのか、と迷っており、ビデオを見ても、やはり自分がどうすればいいのか、ということがよく分かりません。ですが、このように開館して私達に過去への扉を開いて下さっていることに感謝して、これからも戦争ということがらを歴史のみにとどまらせぬように、小さな力ですが、何かしら尽力していきたいと思います。[北海道 Sさん(大学2年)]

は、一昨年まで小・中学校で教えていました。早乙女先生の書物などを使って、戦争の悲惨さを私なりに伝えてきました。この様な資料館が近くにあれば、もっと分かりやすく教えることができたと思います。悲惨な戦争を後世に伝えるためにも、この資料館を大切に続けて下さい。[愛知県 Nさん]

国からの留学生です。かつて、日本と中国の間で戦争があって、それは中国の人々にとって誰でも忘れられない歴史です。しかし、東京大空襲の命令を下したアメリカの将軍は「戦争は遠い昔のことだ、もう忘れたい」と言い出した。私はおどろきました。そして、心配し始めました。たしかに戦争のつらさは誰でも忘れたいだろう。もう、戦争を発生させたくないです。これから平和を大事にしよう。次世代の子供たちにも歴史の真実を伝えよう。歴史を忘れないよう、そして平和への思いを伝えつづけよう。[中国留学生・Bさん]

感想ノートから

時、生後6ヶ月だった私の命があったのが不思議です。生かされている事を強く感じます。東京大空襲の記録を残して展示して頂き、感謝です。平和を強く願います。[江戸川区 F.R.さん(女性)]

でも、子供の影を追って、自分のお腹を痛めた子供を探し続けています。生死もわからないでいます。何かがおかしいと気づき始めました。[Tさん(女性)]

軍カーチス・E・ルメイが日本の天皇から勲章を受けていることに衝撃を受けました。今の沖縄を考える時、国民の犠牲に目を向けないでいる体制がずっと、この国では変わらないことにぞっとし、怒りがこみ上げてきます。原発の再稼働も同様です。できることから1つでもやって平和をつくることを決意しました。[鶴岡市 K.S.さん(男性)]

を見ていると、描いた人達の思いが伝わってくるようで胸が痛いです。広島の資料館でも同じ思いになりました。理屈ではなく、戦争はしてはいけないという思いが伝わってきます。[立川市 Y.H.さん(男性)]

争や平和については、それなりに学んできたつもりでしたが、空襲のおそろしさを初めて知りました。多くの人がどんな思いでなくなられたのか、想像してもしきれません。平和の大切さ 戦争の歴史をしっかり学び、これからも平和な社会を築いていきたいと思います。[京都市 M.K.さん(男性)]

は今まで、日本の「被害者」の側面しか知りませんでした。日本は被害者でもあり、加害者でもある。このことは忘れてはなりません。今日、平和な日々を送れていることに感謝し、過去に学んでいこうと思います。貴重なお話、ありがとう。[無記名]

語り継ぐ

2012年7月から12月までに48校の学校が来館しました。9〜10月の秋の修学旅行のほかに、都内の小・中学校の社会科学習や遠足などの来館も多くありました。また大学のゼミや授業で、遠くはカリフォルニア州立大学アーバイン校からの来館もありました。子どもたちは、熱心に体験者の話を聞き、資料から空襲の悲惨さ人の命の尊さをくみとろうと真剣です。

来校学校数:北海道3 東北1 東京21 関東(東京以外)4 中部14 近畿4 海外1

戦災資料センターに訪れて

[修学旅行などで訪れた各学校から感想文、文集などが多数届いています。図書・資料室に大切に保存している中からほんの一部を紹介します]

本さんのお話を聞いているとき、戦争を体験した、ひいおばあちゃんのことを思い出して、胸がいっぱいになりました。テレビや本で戦争について見るよりも、お話を聞いた方がわかりやすく、気持ちが伝わってきました。私は、橋本さんの思いや、戦争の体験を後に残していきたいです。[東京都福生市立第1小学校6年生]

達のために戦争についてていねいに教えてくれました。あまりよくない気の毒な話しを聞いて私は泣きそうになりました。でも、この話しを聞かないで社会に出ると、知らず知らずに軽い気持ちでいってしまいます。なのでこの話を聞いて資料を見てそれで平和について考えることを見学しながら感じました。あらためて戦争は絶対してはいけないことと、命の尊さを知りました。平和になるには1人1人が考えよう、考えるのが「平和」への第1歩。[静岡県静岡市立安東小学校6年生]

瓶さんのお話の中で一番心に残ったことは、東京大空襲で母親の腕の中で子どもが亡くなっていたという事です。母親は自分の命よりも子どもの命の方が大切だと思い、なんとかしてでも子どもだけは助けたかったんだと思います。私は母親って強いなと思いました。このことから私は、これから親の愛情をしっかりと受け止めて返していきたいと思います。私は今後後世に戦争があったことや、罪のない子どもが死んでいった事などを伝えて、戦争や戦いはいけないと言える時代をつくっていきたいと思います。[三重県名張市立桔梗が丘中学校2年生]

日聞かせていただいた戦時中の二瓶さんお話は,戦争を映像でしか見たことのない僕たちにとってはとても衝撃的でした。最後の食用油の話では、みんなが自分のことで精一杯のときでも他人のことを考えられる人がいるということを知り、自分もそういう人にならなくっちゃいけないと考えさせられました。自分だけではなく色んな人に目をやれる視野の広い人間になりたいです。[三重県名張市立桔梗が丘中学校2年生]