母子像東京大空襲・戦災資料センター

来館された方の感想ノートから

センター2階に置かれている「感想ノート」の内容はすべて記録し、保存しています。
今回は、体験者の方々の声と次代の若者たちの感想を掲載させていただきました。(2010年2月に発行された『戦災資料センターニュース No.16』より転載)。


体験を活かし、次へ語り継ぎ、明日に生きる

願を果たし、やっと参りました。私が生まれ育った千葉も昭和20年七夕の夜、大空襲に遭い、当時の母校の校長先生も亡くなりました。[千葉市 F.S.さん(女性)]

の母は昭和9年生まれで、東京深川で空襲に遭いました。その話を孫に、私の子どもに話して欲しいのですが、「話したくない…」。現在「要介護2」です。 [市川市 A.K.さん(女性)]

まで目を背けて来ましたが、これを機に目を向けて子どもと一緒に戦争について話し合ってみます。[Y.S.さん(女性)]

は84歳?自分達生き証人が、だまったまま死んでいくことは許されない。孫二人を連れてきました。[T.A.さん(女性)]

き残った者のつとめとして、毎年ここに通う事がせめての活動です。全国から若い人が来て下さっています。嬉しく、心強く思いますが、地元の小・中学生のみなさん、江東区、墨田区の子供たちにも知って貰いたい。[江東区北砂 M.I.さん(男性)]

は昭和9年生まれですが、当時、本所区石原町におり、母、弟と3人で逃げました。3月10日の様子を、僕なりに記録していかなければと思っています。[埼玉県 H.R.さん(男性)]

切な人と笑ってすごすこと、美しい音楽に酔いしれること、自由な夢を見ること…。それなのに、この苦しみ、傷を伝えてくださった体験者の方々の思いを届けて語り継ぎたいです。[毎日新聞生活報道 T.M.さん(女性)]

、私のいる場所に昔は大量の死体が転がっていたと知り、そのおぞましさに憎悪した。私は軍事、戦争に賛成する人間の理解に苦しむ。二度と起こしてはならないものだと改めて感じた。[専修大学 H.J.さん(男性)]

々な場所に出向き、“戦争”を考えようと思っています。今日は私のクラス33人をつれてきました。子どもとともに、もっともっと考えていきたいと思っています。[国府 H.K.さん(女性)]

日、娘が小学校の社会科見学でこちらにうかがったそうで、私の祖母やおばも言問橋の上で亡くなったと、小さい頃から聞いていました。今後も娘と何度も足をはこぼうと思っています。[江東区南砂 O.Yさん(女性)、O.S.さん(女性)]

けた江戸川区平井の地図を見て、タメ息ばかりです。私自身は学童疎開で山形県湯野浜に居ました。1935年2月生まれ。[都立高校教諭 千葉県野田市 K.M.さん(男性)]

たち戦争体験者は後世に戦争反対を語り続けたいと思います。私たちの戦争体験者の使命です。[S.K.さん(男性)]

年8月15日終戦記念日になると、主人とこの東京大空襲戦災資料センターに訪ねる様になりました。私達夫婦は学童疎開の最後の二人です。主人の母は、東京大空襲の時に屋根から落ちた焼夷弾の破片で主人に代わり亡くなりました。元気でいるかぎり、この戦災資料センターを訪れるよう心がけます。[品川区 H.T.さん(男性)、H.K.さん(女性)]

重県津市から来ました。私の祖母は東京大空襲で被災し、父親の郷里である津にやって来て、津空襲に遭いました。私は、現在“津平和のための戦争展”を手伝っています。[三重県津市 K.H.さん(男性)]

のすごい炎、物が人がまいあがっている/道路に炭のようにころがっている/川は寸分のすき間もなく、人でうめつくされている/10万人の人がなくなった/そして勲一等になった。[T.S.さん(男性)]

の日本が平和なのは、昔戦争があったからこそ人々がまた同じあやまちをおかさないように努力しているからだと思う。[名古屋市立有松中学校 男子6人]

「江東・弥生の空、もっと生きていたかった」の絵を見て涙がとまりませんでした。今の風景を見て空襲にあった人たちがどう思うだろうと思ったら…。[無記名]

間がしてはならぬ事がある。それが戦争だ。[成田 I.K.さん]

争って本当にだめだと思う。人を殺してもなんのメリットもないし、いけないの![和光中学校生]

は大学生ですが、平凡に過ごしています。テレビを見ても他人事のようにとらえている自分がいます。今日知った事実を、他の人に伝えていくこと、これが私にできることだと思いました。[専修大学 T.K.さん(女性)]

争は恐ろしく、おろかなことだと感じた。この世界から「戦争」という言葉を無くしたい。そのためにできることを考えよう。強くそう思った。[埼玉県 Y.S.さん(高2・男性)]

戦に対する気がたくさんはいりました!!良い戦争と悪い平和は無い![JR東労組都内平和塾 O.Y.さん(男性)]

の時代は戦争時代に死んだ、生き残った人がくれた大切な宝です。その宝を大切に。命を大切に。それが私たちのつとめです。みんな、そう思いました。みんな、そう思おいませんか。[徳島勝浦中学校2年]

きるってすばらしいと思った。[M.さん]

島・長崎・沖縄と平和資料館に行きましたが、東京にもこんな悲劇があったと知りました。どの町も多くの罪なき市民、子どもたちが命を奪われています。戦争はくり返してはなりません。[兵庫県 K.さん]