母子像東京大空襲・戦災資料センター

示された写真の中に、黒こげになった母親の写真が背中が白く、傍らに子供の死体が転がっていた。私の母は兄2人を連れ、私を背に戦火を逃げた。逃げ遅れればこの写真のようになったのだろうか。赤く印を付けた下町空襲の地図を見たら、私の生まれた石浜町も赤く染まっていた。もう戦争はいやだ。[福島県 T.M.さん/男性]

れだけ死者数の多かった東京大空襲が、あまりにも世の中の人たちに知られていない。やはり、3月10日は国として、原爆慰霊祭のように東京大空襲記念日として、慰霊祭を開き、国として、記念館に費用を支出するべきだと思う。[Oさん]

時私は5歳。ビデオで死体となっている子供は私くらいの年齢だったろうと思います。61年前には、こんな恐ろしい体験を先達たちは経験されたことを決して(日本人として)忘れてはならないものです。[千葉県 N.Y.さん/男性]

差別爆撃−低空飛行−2250mの惨?−涙がでてくる−私の同窓生も東京大空襲で焼死した。あの猛火では助かるはずはない。[元海軍二等兵曹 Tさん]

争なんていらん!!![(三重県・無記名)]

学生6年、30名を連れて見学に来ました。子供たちだけでなく、自分自身が言葉もでないくらいびっくりしてしまいました。思わず涙が出てしまいました。[K.K.さん(38歳)/女性]

空襲記念日前に胸騒ぐ/言問の桜の冬芽記念の場。もうすぐ3月10日言問橋にて生かされた自分は今何をすべきか? 孫子の代まで戦争反対を語り告げるぞ!![江東区南砂 S.H.さん/男性]

台から昨日来た時に、この資料館のあることを知りました。東京大空襲のことは、少しだけ夫の母から聞いたことがあったのですが、生々しい事実の一端を知ることができて、涙ぐみながら見聞致しました。靖国の遊就館と、対照的に戦争を語りつぐこの館の役割、とても貴重ですね。歴史のひとこま、ひとこまを私たち一人ひとりが知るために。[T.H.さん/女性]

和20年3月10日から61年目。やっと御地をお訪ねすることが出来、感無量です。その夜私は、16歳の少年兵で、所沢の航空隊で番兵に立っていて東京大空襲を目の当たりにしました。又々昔のように戦争の足音が聞こえてきます。戦争で亡くなられた方々の無念さ、これから成長される子供や孫達のためにも、二度と戦争はさせない平和を守らねばという思いを強くしました。[M.T.さん/男性]

と一緒に見学させていただきました。私自身は戦後生まれですが、両親、兄や姉が東京で空襲に遭っています。あらためて戦争の悲惨さを感じています。二度とこの悲惨な戦争をおこすことがないように祈る気持ちがうすれていくような不安さを覚えますこのセンターの役割はとても重要だと思います。[札幌市 K.S.さん/男性]

和17年に買ったおひな様。そのおひな様を3月10日の空襲で持ち出した。幸い、娘さん三人と両親も無事だったとのこと。毎年、毎年3月10日までおひな様をかざる様に、とお母さんは遺言なさったとのこと。お父様は、97歳で3月3日だけここからお家に持ち帰るとの事。おひな様を見つめるお父様の姿に涙。[無記名]

は、埼玉県上尾市在住。3月10日。友人の家族が死んだ。友人は気が狂ったように泣きさけんでいた。[無名さん]

1歳3ヵ月の長女を足立区千住より連れて一緒にきました。この子を背負って火の中を逃げまどう錯覚を資料を前に覚えました。[K.K.さん/女性]

だ胸がつまる−−言う言葉もありません。残された姉妹弟も生の終わりをむかえる年です。生きているうちにと、やっと足を運びました。世の中を変える力になりたいと思っています。[さいたま市 A.S.さん/女性]

霜60年、忘却でなく風化でなくこの悲嘆を忘れず、子、孫に傅える務め最大に大切なこと。猿江一丁目亀の湯。棒杭につかまり冷たき水の戦災忌/樹を植え石を祀りて戦災忌。訪ねたご縁、感謝する。[無記名(80歳)]

れ得じ弥生十日の大空襲/大空襲あぁ墨堤桜咲けり/寒空にイラクの子らの無事祈る。当時旧中学生[S.H.さん/男性]

はB29が憎くて、アメリカに行って来ました。何と立派(?)な機体で、300機もいっぺんに東京に来たそうで、ひとたまりも無かったと思います。涙が出て止まりませんでした。昭和19年迄、深川白河町に居りまして現在は大阪に居ります。[M.C.さん(74歳)/女性]

石のお年寄りの家をボランテァで訪問した。そのお宅の婦人の兄は、日の丸特攻隊として沖縄海上で亡くなった。その兄は、出撃隊に「遺言書」を書き残していた。その遺言書は最近見つかって、まだ他人には見せていないとのこと。このことがあって、当センターを拝見に来た者です。[Sさん]

京大空襲のビデオ、初めて拝見させて頂きました。日本橋高島屋の近くで理容店をしていましたが、丸焼けで叔母は2歳位の子供をおぶって藤沢の叔父の実家に来ました。記憶が薄れていくような気がします。[藤沢市 I.M.さん(77歳)/女性]

京の被災区分図(3階)。焼夷弾の実物、ピアノ、おひなさま。ここの価値は代えがたい。[埼玉県 Mさん]

知県から家族4人で来ました。中学3年生、15歳の双子の息子達。私たちの大切な息子達が、殺すことも殺されることも、望みません。[K.K.さん(41歳)/女性]

学校6年生の娘と一緒に来ました。ここまで戦争を身近に感じられる資料館にはびっくり。[小六の娘の母]