岐路に立つ全国戦没者追悼式
(戦災資料センター・ニュースNo.39より)毎年8月15日を「終戦記念日」として全国戦没者追悼式を開催するようになったのは、1963年以降のことです。今この追悼式自体が大きな岐路に立たされています。まず式典の意味が曖昧なままです。そもそも追悼の対象には外国人の戦争犠牲者は含まれているのでしょうか。日本人の場合は日中戦争以降のすべての戦没者とされていますが、満州事変の戦没者はなぜ含まれないのでしょうか。追悼式に歴史に対する反省という意味を込めるのならば、歴史の大きな転換点だった満州事変を含めるべきでしょう。また、遺族中心の式典も高齢化によって困難になっています。現在出席する遺族の中心は戦没者の遺児です。すでにかなりの高齢者であるため、最近では孫・ひ孫の出席も認めています。式典のありかたそのものを再検討すべき時期に来ているにもかかわらず、政府は動こうとしません。むしろコロナ感染防止を口実にして、式典の縮小という既成事実を積み重ねているように思えてなりません。

「老後」の夢の行方
(戦災資料センター・ニュースNo.38より)昨年3月に37年間勤めた一橋大学を退職しました。授業に追われる生活から解放されて少しほっとしています。退職後は各地の平和博物館をまわってみようと考えていたのですが、新型コロナの影響で思うにまかせません。安城市歴史博物館の企画展、「描かれた戦争」も見学に行くつもりでしたが、結局断念しました。警察官だった桜井純さんが描かれた戦争体験画に関する企画展です。名古屋空襲に関する貴重な記録でもあるだけに本当に残念です。それでも感染防止に気をつけながら、近隣の施設を訪れるようにしています。昨年11月には千葉県館山市にオープンしたばかりの私設図書館、「永遠の図書館」に行ってきました。ここでは、陸軍大尉だった飯塚浩さん(故人)の手記と蔵書を閲覧することができます。12月には、「ヒロシマ連続講座」の竹内良男さんの車に乗せていただいて、武蔵村山市にある「PTSDの日本兵と家族の交流館・村山お茶のみ処」に行ってきました。戦争で心の傷を負った元日本兵の家族の交流の場です。館長の黒井秋夫さんは、とてもエネルギッシュな方でした。感染が何とか収束して、「老後」のささやかな夢を実現できる日がめぐってくることを願っています。

展示のリニューアルを終えて
(戦災資料センター・ニュースNo.37より)新型コロナウイルスの感染拡大などもあって、展示リニューアルがだいぶ遅れてしまいましたが、6月20日にようやく開館いたしました。ご支援・ご協力いただいたすべての方々に深く感謝します。感染防止のため、事前予約制、入館者数の制限などの措置を取らざるをえませんが、28日までの間にすでに130数名の方が来館されています。アンケート結果を見てみますと、展示がすっきりしていてわかりやすいという評価が多く、館長としては、ほっと胸をなでおろしている次第です。また、「当センターをどうやって知りましたか?」との質問に対しては、センターのホームページ、新聞やテレビと回答された方が多かったのにも驚かされました。この間の広報活動の成果が出ていると感じましたが、今後も様々な媒体を通じて積極的に発信していく努力が重要でしょう。スマホなどとは無縁の時代遅れの館長ですが、せめて講演などの際にはセンター、センターと連呼するつもりです。(館長 吉田 裕) <リニューアル開館します 名誉館長 早乙女勝元> 戦後75年の夏が迫って参りました。皆様には、いかがお過ごしでしょうか。 いわゆる「三密」の不安で不自由な日々ですが、今日はいいお知らせです。  当センターは博物館相当施設をめざしてリニューアル中でしたが、建物から、展示へと作業を終えて、ようやく皆様をお迎えできるようになりました。若い研究者たちの努力によって、わかりやすく新しい展示表現へと、資金その他のきびしい条件下にもかかわらず、完成したものです。東京大空襲惨禍の引継ぎは決して充分ではないものの、なんとか達成できましたことを心から喜びたいと思います。  しかしながら、今度はコロナ禍という新たな大試練が目の前に登場しました。私たちの生活は非日常に変えられてしまい、終息はいつのことやら。当センターも無関係ではいられません。日本の民主主義と平和の、重大な危機でもあります。この日この時、このヤマを無事に乗りきって、後世代に命のバトンを手渡すべく、皆様のご来館を切に期待する次第です。

館長ごあいさつ
(戦災資料センター・ニュースNo.36より) 少し時期遅れになるかもしれませんが、明けましておめでとうございます。多くの方々に励まされ支えられながら、東京大空襲・戦災資料センターも新しい年を迎えることができました。改めて感謝申し上げます。本年は展示リニューアルの完成というセンターにとって大きな節目の年となります。今まで以上のご支援をどうぞよろしくお願いいたします。お正月に片渕須直監督の「この世界の片隅に」を、娘と一緒に(ここが重要)見てきました。呉軍港を舞台にして、人々の日々の生活の営みの中から戦争の残酷さ、不条理さを描いたみずみずしい作品です。さりげなくではありますが、植民地支配や軍隊と性の問題を取り上げていますし、呉空襲や原爆のシーンも迫力があります。特に原爆の爆風のすさまじさが強く印象に残りました。映画を見終えてふと考えたことは、原作者のこうの史代さんに東京大空襲の漫画を描いてもらえないかということでした。こうのさんは『夕凪の街 桜の国』以来、私の好きな漫画家の一人ですが、そのこうのさんに直接お会いして、東京大空襲の漫画をお願いする。これが私の「初夢」です。  

ご挨拶
(戦災資料センター・ニュースNo.35より) 皆さん、こんにちは。新館長に就任しました吉田です。「吉田裕って誰?」という声が聞こえてきますので、自己紹介をいたします。専門は日本近現代史で、一般書としては『昭和天皇の終戦史』、『日本の軍隊』、『アジア・太平洋戦争』(以上、岩波新書)、『日本軍兵士』(中公新書)などを書いています。軍部の政治史的分析、戦争犯罪・戦争責任の問題、日本の戦後処理、日本人の戦争観など、様々な問題に取り組んできましたが、日本人の戦争体験の問題にこだわり続けてきたというところに研究者として多少の自負を持っています。戦争体験世代が全人口の1割を切った現在、日本の針路を考える上でも、戦争体験をどのように継承するのか、という問題が大きな課題として浮上してきています。前館長の早乙女勝元さんのような知名度も人望もありませんが、東京大空襲の問題を中心にしながら、この課題に正面から向き合ってみたいと考えています。東京大空襲の体験者の皆さん、センターを支えてこられた皆さん、歴史教育や歴史研究に携わる皆さん、どうぞ力を貸してください。最後になりますが、早乙女勝元さん、長い間本当にご苦労様でした。そして今後も名誉館長として私たちを支えてください。

センター、新時代へ
 (戦災資料センター・ニュース No.34より)  私のコラムも今回が最終回です。  思えば、1970年に東京空襲を記録する会を起こしてより約50年、次いで民間募金による当センターの設立・開館からも17年。私もこの3月で87歳になり、体調面の都合から本年6月にて館長役を降りることとなりました。センターは新しい時代に移行しなくてはなりません。  と、言いましても、突然プッツンといなくなるわけではありません。まだあの世に逝くわけにはいきません。私のライフワークたるテーマと、センターの主目的とは一体のものですので、その後もできるかぎりの協力をしていく所存です。  よく講演先で「お若いですね」のお言葉をいただくのですが、若くないからそう言われるのであって、このところ目も耳もめっきり調子が悪く、足は容易に前に出てはくれません。80代の急坂を転げ落ちるような日々ですが、誰もが経験することで、仕方のないこととは思います。ポンコツだらけの身体となりましたが、私なりの発言と執筆は、生きているかぎり続けていくつもりです。  今年の政局は重大な正念場を迎えております。迫りくる荒波が平和と逆行するからには、当センターの進路も無関係ではありません。これからも皆様と固く手を結んで、東京大空襲の惨禍を、二度と繰り返させぬ決意を発信して参りたいと思います。元号が変わるからといって、戦禍の歴史が帳消しになるわけではないのですから。  これからもどうぞセンターをよろしくお願いいたします。 早乙女勝元

平和創造のパワーを
 (戦災資料センター・ニュース No.33より)  昨年夏のさなかに、東京新聞から原稿依頼の電話がありました。夕刊連載の『この道』に登場はいかが、とのこと。そのコーナーは、大企業の社長さんや著名な文化人による自伝的な読み物で、著者に入れてもらえたのは幸せでしたが、私もついにそんなトシになったのかと、少々やるせない気がしました。  しかし、当戦災資料センターを紹介するのには、願ってもいない機会です。現在のセンターの活動から遡り、私の生い立ちと四苦八苦の青壮年期をへて、また現在のセンターに着地する、という構成でなんとか書き上げました。連載第1回目で登場するのは、昨年夏の特別企画で活躍した若い世代です。センターの展示品にまつわる小話や、支えてくれたスタッフ、来館者との出会いや交流などを書き連ねながら人生の振り出しに戻るという、『この道』ではやや異色な連載だったかと思います。このほど連載分は、『その声を力に』の1冊にまとめました。  思えば、これまで過ごしてきた人生の前半までは、折にふれて書いてきましたが、86年の生涯を振り返り、改めて俯瞰したのは初めてでした。人は悩みや迷いの渦中にいると、容易に理性を保ちにくいものですが、当時八方ふさがりかと思えたことに、光が見えてきたのは、余分な苦労を経てきた加齢のせいか、老いも捨てたものではないという気がします。  書くことは、自分をつきつめることでもあります。夢中で走りつづけてきた過去を見つめ直すことで、残りの人生を自分らしく生きたいし、生きていてよかったといえる社会を、次世代に確実に手渡したいのです。  この夏、戦争体験なしの来館者が、またたくさんセンターにやって来ます。当センターで平和創造のパワーを得られますように、いささかなりと、そのお役に立てれば・・・と今日もペンを走らせつつ願っております。

わかりやすさと、感動的な…
 (戦災資料センター・ニュース No.32より)  当センターは開館16年。維持会員や協力者の皆さんは、ずっと空襲体験者が主力でしたが、これからは非体験者が中心にならざるを得ません。  開館以来、初めての試練で、この大波を乗り切っていくためには、民主主義と社会正義に裏づけられた斬新な企画力が必要です。  センターは目下、内外の知恵を結集した展示リニューアルの検討中ですが、体験のない人たちにも受け入れやすいわかりよさと、感動的な展示――追体験できる想像力を喚起できるような、とは私の願いです。  しかし、限られた空間に、これを具体化するのは容易ではなく、さらに知恵を絞らなければなりませんし、予算も必要です。皆さん方のご支援をお願い致します。  ことしは、憲法9条の重大な危機になるやと思われますが、当センターは戦争否定と平和への希求を、積極的に発信して参りますので、よろしくどうぞ。

開館15年で想うこと
 (戦災資料センター・ニュース No.31より)  ことし、東京大空襲・戦災資料センターは、開館15年となります。日ごろの皆さんのご協力と、スタッフ一同に感謝いたします。毎年好評の夏休み特別企画も近づき、てんやわんやの日々かと思います。  さて、その特別企画ですが、昨年夏にたまたま手伝いに来ていた東京成徳大学の学生二人が、これをきっかけに空襲に興味を持ち、大学で自ら空襲展を開催し、反響を呼んでいるという記事が4月の朝日新聞東京版で取り上げられました。この空襲展はなかなか好評だったようで、孫のような世代の活躍に私自身が大変おどろきました。種はまかなければ実りませんが、はぐくむ土壌もまた必要です。私どものセンターが15年をへて、確実にその場所になりつつあることを実感し、養分を与えてくれた皆様にも感謝する次第です。  その昔、よく口ずさんだ歌の一節に、「死んだ親が後に残す宝物は何ぞ…」とありましたが、今にして思えば、宝物は平和憲法だったのだと思います。私の代でそれを手放すわけにはいきません。戦争はまっぴらごめんで、戦争につながる道には孫たちの手を借りてでも、NOの声を上げたいと思います。  それこそ、「千載に悔いを残さぬために」と想う日々です。当センターは、目下リニューアル募金と工事入りするところです。私も85歳。次世代の活躍を見届けるまで、もうひとふんばりです。

開館15年、維持募金のお願い
 (戦災資料センター・ニュース No.30より)  この三月で、「東京大空襲・戦災資料センター」(以下センターと略す)は開館15年を迎えます。皆さんのお力添えによって、いのちと平和の尊さを、17万人余の来館者に継承できましたことに、心から御礼を申し上げます。  15年の実績の上に、新たな課題がいくつか。その一つは来館者をより安全に、博物館機能を充実させるべく、構造変えを含むリニューアルの必要性に迫られている。二つは激動する内外の情勢を踏まえて、展示を見直す時にきたこと。しかし、維持会員は増えることなく、財政状況は厳しくなりつつあります。  そこで、まことに心苦しい次第ですが、当センターの社会的意義をご理解いただきまして、特別のご協力の程、よろしくお願い申し上げます。 また、身近な人にお声をかけて下さいまして、維持会員と支持協力者を、一人でも多く募っていただければ幸せです。