いよいよこれからです 若い人の「想像力」にかけて
 06年2月1日(戦災資料センター・ニュース No.8より)  戦後も61年を迎えました。戦禍の語りつぎは、いよいよこれからが大事だと思います。  ほどなくして、直接の体験が、追体験の時代に入るからです。追体験には民間人の立場での記録や資料が不可欠で、記憶を記録に、その記録を集合化する必要があります。当センターの意義はさらに重くなるわけですが、先頃見えた20歳の女性が、「私たち戦争を知らない世代には義務があります」と、感想ノートに書いてくれました。  それは、「この戦争について知る義務であり、考える義務、語りついでいく義務、そして、平和を守る義務です。そのためには、まず想像すること。あの頃をけんめいに生きた方たちの毎日を、気持ちを想像することが先決です」と。  いい言葉ですね。事務局一同、どんなに励まされたかわかりません。そして、このたびNHK放送文化賞の受賞となり、増築募金もみなさんの熱いご支援で、もう一息のところ。東京での平和学習には、ぜひ当センターへと呼びかけています。

後世代の平和のために
 05年8月1日(戦災資料センター・ニュース No.7より)  石の上にも三年といいますが、当センターも開館して三年。全国的にその存在が知られてきました。関西や東北から、修学旅行の生徒たちが多くなったのもうれしい悲鳴ですが、何分にも手ぜまなのが、悩みのタネです。  そこで、この際、思い切って隣接地に増築したら、の声が出てきました。会議室を倍ほどに広げて、さらに展示や資料面の充実をはかれと。しかし、厳しい状況下に増築募金をお願いするのはどんなものか、と何度かの討論を重ね、やはり今しかないの結論になりました。その呼びかけ人として、社会的に著名な方々が加わり、女優の吉永小百合さんは、賛同の立場から、心のこもったメッセージをくださいました。当センターの意義と、これまでの実績によるものといえましょう。  皆さんには、たび重なるお力添えに加えて、恐縮のきわみですが、後世代の平和のために、熱いご支援をお願いする次第です。

あの日、あの夜から60年 伝えよ学べ今こそ
 05年2月1日(戦災資料センター・ニュース No.6より)  戦後60年という、歴史的な節目を迎えました。東京大空襲「炎の夜」からの60年ももうすぐです。  人間の体験は、60年単位で「歴史」に移行するといわれています。とすると、当時、人の子の親だった方の語りつぎは、限界に近づきつつあるということ。体験者がいなくなった後は資料や記録を活用しての追体験による知性に頼らざるをえませんが、現在の東京には、公立の戦災記念館もなければ、平和公園もありません。  戦争をふせぐには、戦禍の実態を知らねばならず、小さい者や弱い者の立場で学ぶべきです。昔も今も国の内でも外でも、かれらが常にもっとも深刻な犠牲者だからです。災害は忘れた頃にやってくる、といいますが、戦火も同じで、「知っているなら伝えよ、知らないなら学べ」の正念場に来た、と痛感しています。知ること学ぶことが、ジワジワヒタヒタと迫ってくる土石流への、くさびの一つにもなりましょう。  そういう意味で、民立民営の当センターの存在意義が、ますます重さを増してきました。いっそうのこ支援をお願いする次第です。

今こそ平和のバトンを 過去は未来のために
 04年8月1日(戦災資料センター・ニュース No.5より)  来館者が2万5千人に近づきつつあります。そのうち、中学生の修学旅行を含めて、団体の方が7割近くです。後世代への継承という点で、これはとても心強いことではないでしょうか。  同時に個人が増えてくれるといいのですが、感想ノートを読んでいましたら、こんな意見がありました。「自衛隊のイラク行きなどにとやかくいう暇があったら、語りつぎをしっかりやれ。どうせ、なるようにしかならないのだから…」私どもへの激励なのでしょうが、匿名です。お名前とアドレスがわかれば、なんのために東京大空襲の惨禍を訴えているのかを、わかっていただきたいと思いました。  過去は、未来のためにあるのです。戦時下の都民の惨禍を語り伝えるのは、未来の平和のためであって、単に歴史を後ずさりすることではありません。戦後が“銃後”に移行しつつある現在に対し、「なるようにしかならない」では、若い世代は決して納得しないでしょう。  民衆の戦禍を語り継ぐ者に、必要不可欠なのは平和のバトンです。二度と戦禍を繰り返すまじの、熱い思いをこめたバトンです。戦後生まれが75%にも達した今、戦争を阻止するにはその実態を知らねばならず、当資料センターの存在と意味がますます重くなってきました。

平和のバトンを手渡すために 迷彩色の曲がり角で
 04年2月1日(戦災資料センター・ニュース No.4より)  当センターも、開館から三年目を迎えようとしています。この問残念ながら、私たちの願いとは逆行する事態が進行中です。戦争と暴力の暗雲がたちこめ、目本もまた迷彩色の曲がり角で、憲法九条の危機を恐れるのは、私一人ではないでしょう。  センターを訪れる人たちの思いも、少し変わってきました。感想のノートを熟読していますが、共通点は東京大空襲の実態についての大衝撃です。かつての戦争が、一般民衆に強いた犠牲の深刻さを、等しく心に刻んでいます。そして、その過去を現在、未来に重ね合わせる視点が、最近のきわだった特徴でしょうか。  これは、とても大事なことだと思います。オブラートに包まれた戦争の本質は、戦争をやる側ではなく、やられる側の小さい者や弱い者の立場で、事実をしっかり見抜きたいもの。後世代に平和のバトンを手渡すためにも、もうひとまわり、参観者が増えてくれることを期待しています。

ああ、よかった…と 開館1周年に思うこと
 03年2月1日(戦災資料センター・ニュース No.2より)  開館から、まもなく1周年を迎えようとしています。  なにしろ初めての経験ですから、スタッフ一同、無我夢中できたという感じです。この原稿を書いている現在、参観者は1万300人をこえました。小さな建物なのに、これは予想外の数で、びっくりしています。  参観者の内訳ですが、地元や都内はもちろんのこと、北海道から沖縄まで全国各地から。そして、次代を担う小中高生たちが1割以上を占めます。かれらは修学旅行で、あるいは総合学習や学芸会、文化祭のテーマなど、目的はいろいろですが、ひたむきに学んでいる姿が特徴的です。  来館された皆さんは、なにをどのように感じとってくれたのでしょうか。たまたま、手元に1通の葉書があります。息子さんと一緒にこられた70歳の女性で、東京大空襲で生き残ったと書いてあります。被災体験を語りついで行こうと思いつつも、個人の力では限界があって、息子さんをつれて来られたとのこと。展示やビデオを観たあと、息子さんいわく。 「お母さん、どうして助かったの?」  その問いかけに、猿江町での惨憺たる状況を思い出したそうです。  戦後世代の息子さんは、それこそ初めて、母の戦争の苦労を感じとったのではないでしょうか。母は万感胸に迫るものがあって、その時、母と子の心を結ぶきずなが、確認できたように思われます。  感想ノートに、それぞれの思いを書いてくださった方々は干人に近く、戦災体験のある方はその思いを綴り、戦後世代は追体験の重さを、そして小中高生達は、平和の願いを切実に記しています。読んでいくだに胸が熱くなり、ああ、苦労してこのセンターを立ち上げてよかったとしみじみ思うのです。  しかし、またふたたびキナ臭い状況となってきました。あの戦争で民衆はどのような犠牲を強いられたのか、その事実を語りついでいくことは、「いつかきた道」へのブレーキとなり、明日の平和への力に結び合うと信じて疑いません。この小さな平和の拠点が、やがて線となり面となりますように、ご支援をさらにお願いする次第です。

明日へのバックミラーとして開館にあたって一3月9日
 02年7月1日(戦災資料センター・ニュース No.1より)  思えば、57年前の今夜午前0時8分から東京大空襲が始まった。爆撃はわずか2時間余だったが、東京の歴史と運命を大きく変えてしまった。罹災者は100万人を越え、尊い命を犠牲にした方は、10万人にものぼった。9日の夜まで灯火管制のもと、ひもじい食糧をわけあい、語り、笑い、溜息をつきながら朝を迎えるはずだった一人一人だった。それまでの戦史にはこれだけ短時間に10万人もの兵が死んだ例はない。民間人に向けての、人類始まって以来の大量無差別殺戮だった。その後は沖縄の南部戦線や、広島・長崎へとつづいていくわけです。  死者は何も語る術をもっていません。かれらは私たちの心の中にしか存在しないのです。生き残った者とその後に生きてきた者が、犠牲者たちの無念さを引き継いで、未来を人間らしく平和に生きたいと思う。私は谷川俊太郎さんの詩の一節を思い出します。   死んだ彼らが残したものは   生きてるわたし   生きてるあなた   ほかには誰も残っていない   ほかには誰も残っていない  広島・長崎にはそれなりの記念館がある。沖縄には平和の礎があるが、東京にはない。私たち草の根の民間募金によって建てたこのセンターを起点にして、東京を始め全国の空襲の被害実態と、その詳細が分かるように資料を残していきたい。  事実に即した資料とか、記録なしには歴史の検証はできません。センターは規模は小さくても、自動車のバックミラーのような役割で、後ろを見ながら安全を確認しつつ、前へ進むのです。後世代の皆さんは、ここを機に、戦争が起きた原因やプロセスまで独自に学んでほしい。昨年のアメリカにおけるテロ事件から、アフガンへの報復爆撃が繰り返されており、戦争はけっして過去形ではない。過去は未来のためにあるということを心に刻んで、本センターが東京大空襲の惨禍の語りつぎと、研究や学習の場として活用されることをのぞみたい。皆さんのご協力をお願いします。