2012年7月1日(戦災資料センター・ニュース No.21より)
私事で恐縮だが、『ハロランの東京大空襲』が新日本出版社から刊行されたのは、この春だった。
ハロラン氏は、太平洋戦争の末期、東京を爆撃したB29の搭乗員だった。22歳。日本軍機との戦闘で被弾した機から、パラシュートで降下し、群衆から袋叩きにされたあと東京憲兵隊本部の独房へ。そこで3月10日の大空襲に遭遇する。
やっと一命を取りとめるも、次は上野動物園(?)で見せしめの虐待後、大森の捕虜収容所で終戦を迎えたという。
B29の搭乗員は、私どもにとっては加害者だが、氏は大空襲の被害者でもある。当時の自分の足跡を確認したいと来日した氏の東京案内に参加したことから、氏との交流が始まった。当センターの開館式には、自費で来日して挨拶をしてもらい、次はこちらからアメリカのお宅で聞き取りをするなど、友好関係が深まった。
氏は何度か来日し、センターの増築時から毎年200ドルの小切手を送ってくれるようになった。しかし、爆撃については「命令に従ったまでで、謝罪はできない」という。戦争をめぐる加害と被害との関係は、ついに和解に至ることなく平行線のまま、氏は昨年89歳で亡くなった。
拙著はその交流の記録なのだが、反響は大きかった。ごく最近も、読者の1人から現金書留便が事務局へ届いた。
「戦災センターの維持費として、ハロラン氏に替わって、今年から、息の続く限り届けたいと思います」
岩国市に住む64歳の男性で、2万円が同封されてあった。「息の続く限り」の1行に、ああ、こういう人もいてくれるんだと、胸が熱くなった。開館から10年、当センターは平和を願う内外の皆さんのご支援で、内容をさらに充実させ、これからの展望を開きたいと思う。
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