「書いてみます話もします」 -こわされた家族の記憶-

 08年7月10日(戦災資料センター・ニュース No.13より)
 先頃、来館されたある女性から、「家族の崩壊」なる体験記が送られてきました。
 当時、深川の白河町に住んでいた彼女は13歳。火の海なかを、避難先である三ツ目通り沿いの味噌屋末広ビルに逃げましたが、そこも危険となって、近くの工場内へ。父と一緒になんとか助かったものの、母、姉、妹3人と弟さんを亡くしたのです。
 4日後、ビルの地下室から掻き出された家族との対面のくだりは、あまりにも悲惨で胸が痛くなるほど。次いで、6月に土浦の予科練にいたお兄さんが、やはり空襲で死に、7人もの家族を失いました。体験記のいくつかの箇所を、「もっとくわしく」と申し上げましたら、やってみますとのこと。そして、センターでの語り部も承諾されました。
 書いてみます、話もしますと決意された彼女は76歳。センター来館がきっかけで、たのもしいお話です。戦争・空襲のない未来のために、ひとふんばりしていただきたいものです。

一覧へ