戦災資料センターニュースNo.31 より転載

―若い世代―
◆戦争について、多くのことを知ることができました。見るのもつらい写真も多くありました。つらかったです。(東京 中学生、2月9日)

◆私はここへ来て、戦争は人々の日常を壊すだけのものだと思いました。この悲惨な過去を絶対に途絶えさせないようにする必要があると改めて思いました。(東京 中学生、2月16日)

◆今回は戦争についてよく知ることができました。なので私たちはこれから生まれてくる子供達にこのことを語りついでいかなければいけない存在なんだなと思いました。(東京 中学生、2月16日)

◆この写真や絵を見て「ぼくたちはなんて幸せなんだろう」と思いました。昔の人たちは逃げる時、裸足で走っていたり、妹をおんぶして逃げていたので、大変だと思いました。そして写真を見ると熱くて隅田川に飛びこんでいる写真を見て熱くて耐えられなかったんだなと思いました。人は死ぬし、火は熱いからダメだと思いました。そして戦争で生きのこれなかった人は、かわいそうだと思いました。そして大けがをした人や病気になった人もかわいそうだと思いました。そして生き残れた人は本当に良かったなと思いました。そしてぼくたちが生まれた時に戦争がやってなかって、よかったなと思いました。戦争は二度としたらダメ。戦争反対。(10歳、5月4日)

◆自分が生きているこの世界もかつてはこんなに残虐な事があるのだと知りました。今後戦争が起こらないことを祈ります。(14歳、5月10日)

―大人―
◆久しぶりに来館しました。今、めいっ子に戦争の話をどうやるのか悩んで、ここに来ました。あらためて3月10日の事を考えてしまいました。今世界では、又、戦争の足音やナチズムの足音が聞こえてきている気がします。広島・長崎の原爆や東京大空襲の悲惨さを知ってもらいたいと思う。《命どう宝》、沖縄の言葉で好きな言葉です。《戦のない世》《いくさのなにゆ》を願います。こんどは、めいっ子もつれてきて話を聞きたいと思います。(3月8日)

◆今日は13歳で逝った兄の命日です。私は昨秋高校のクラス会で、初めて東京大空襲の体験を話しました。10分の予定が20分となってしまいましたが、みんな熱心に聞いてくれました。そして級友達は次々とその時代の空襲の記憶を語ってくれました。忘れてはいけないのですね。後の世のためにも・・・。それ故にこのセンターがあるのですね。(門前仲町で被災、横浜市在住78歳、3月10日)

◆私は終戦(敗戦)から10年後に東京で生まれた者です。しかし、今になって思うと、東京で空襲があったことは、学校でまったく教えられませんでした。ただ、父方、母方、祖父の家が空襲で焼けたことは両親から知らされていたので、何となく、昔空襲があって、多くの家が焼けたことしか感じとれませんでした。今さらになって、3月10日の空襲が祖父(父方)の家を、5月25日の空襲が母方の祖父の家を焼失させたことを知りました。多少遅きことですが、今後も、戦争の被害とは一般の市民にどのようなことだったのか、知っていきたいと思います。(4月7日)

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