戦災資料センターニュースNo.39 より転載

―子ども世代―

核兵器禁止条約発効をきっかけに、様々な戦争資料館を巡っています。我々のような、これから日本を引っ張っていく世代が、このようなことを学び、引き継ぐことが大切だと思います。二度と戦争がない世界になってほしいです。( 高校3年 男性)◆高校を中退して好きなことをするために東京に一人で来たけど、どうしてもこの町を好きになれなかった。けどこの町を知れば好きになれると思ってここに来てみた。勉強をする意味をずっと考えていたけど、“人に優しくなるため”ってことに気がついた。がんばる( 18歳)◆映像や資料を見て、戦争ってつらいなと思いました。自分はすぐつらい事から逃げてしまうことがあり、だけど今日見学して、この人達は絶対にどんな事があろうとも逃げないだろうと思い、この人達みたいな大人になりたいなと思いました。戦争は二度と起こしてはいけない、忘れてはならないという事をよく聞くけど、今日ここに来て、そういう事だったのかと改めて感じる事が出来ました。良い体験になりました。資料の並べ方や、紹介文もよかったです。(N.T)

―大人―

東京で教員をしています。6年生の歴史の授業で教科書を教えるだけでは子どもたちの疑問は解決しなかったり、二度と戦争をくり返してはいけないことを自分ごとのように考えさせたりできないと思い、ここに来ました。私自身、東京に生まれ育ち、空襲のことや戦争のことをあまりよく知りません。でも私は夢かなって教員になれました。戦争体験者などが少なくなっていく中、子どもたちにしっかり伝えられる教師を目指して、これからもがんばります。ここに来られてよかったです。また来ます。(女性)◇実際に体験された方々の話は強く胸に響きました。亡くなったお父さんやお姉さんの鼻から血が一筋流れたこと。山のように「がま口の金具」や足袋の「こはぜ」が積み上がっていたこと等、ディテール(細部)がリアリティをもって迫ってきました。日本は戦場だったということが実感され慄然とします。つらい記憶を表現し遺すことに尽力された皆さんの活動に敬意と感謝を表したいです。突然人生を断たれた方たちに思いをはせていきたいと思います。(目黒区 N.H)◇母が中目黒で被災し、防空壕に早く逃げることができたため、今自分はこうして生きているのだと思うと、とても身近な出来事であり、そう遠くない過去の出来事だと感じ、訪れました。もし浅草近辺に住んでいたら、もし防空壕に逃げることが遅れていたら・・・家は全焼していて祖母の幼少期の写真は全て燃えてしまったようです。今こうして生を頂いている一秒一秒は、そんな紙一重の奇跡やめぐり遭わせで生きているのだと思うと、先人の方々に感謝してもしきれないものだと感じました。戦争は二度とくり返してはいけないものであると同時に、戦争から数年後にはたくましく復興した日本人の強さを今の日本人は思い出すべきだと思います。このような場をつくっていただきありがとうございました。また来ます。(M.T 20歳)◇舞台をやっている者です。今回東京大空襲を題材にした作品を上演するに当たり、ここを訪問させて頂きました。誰も語らなかったら、なかったことになってしまうとても印象的な言葉です。風化させないため自分達のできる形で伝え続けていきたいと思います。(劇団関係者 A.K  40代)

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