母子像東京大空襲・戦災資料センター

【25】2007年度第2回特別展のご案内……最新版

『VOICE−−知らない世代からのメッセージ』
会場で当日配布するチラシを掲載しました

『VOICE−−知らない世代からのメッセージ』展の出展作品や作品紹介の内容が変更になりましたので、当日会場で配布するチラシを掲載します。

◆主催 東京大空襲・戦災資料センター
 協力 大西みつぐ

◆期間 2007年12月6日(木)〜2008年1月14日(月・祝)
 休館日 月・火曜日(12月24日、1月14日は開館)
 年末年始の12月28日〜1月4日は休館します

出典作品と作者

■『Requiem東京大空襲、今』写真


広瀬美紀
1977年東京生まれ、フリーの写真家

 62年前の東京大空襲で亡くなった人が10万人余りいて、その多くが名前もわからず公園や空き地、寺院などに数年間仮埋葬されたことを初めて知った。東京で90カ所近くある仮埋葬地を撮影すると何かが見えるかもと、しばらく仮埋葬地を撮り歩いた。その多くは親子が遊ぶ普通の公園、普通の寺院で、そこが仮埋葬地だったとは想像もつかない平和な日常の風景だった。
 東京大空襲の実態を少しずつ知るようになり、大空襲を生き残った人を撮影しなければ、と考えるようになった。当時20歳だった人は今80歳代、小学生だった人は多くは疎開で空襲体験はない、ということを考えると、今撮影し記録を残さなければ被災者たちの思いは永遠に封印される、と気付いたからだ。仮埋葬地と同時に体験者の取材撮影を開始した。

■『FORCE』写真


渡邉祐一
1969年千葉県生まれ、フリーの写真家

 この戦災資料センターで突然手渡されたE46収束焼夷弾の弾子。断面は六角形で、手に持つとかなりの重量を感じる。62年前に空から降ってきたこの物体は、何を燃やしたのか、あるいは誰かの体に突き刺さったのだろうか。私には想像することしかできない。こうした実物の持つ力を前に、写真に何ができるのだろう。当たり前のことであるが、写真は過去にさかのぼって撮影することができない。現地に赴いて撮影した写真を、未来につないでいくことが写真家の仕事だと思っている。未来を想像する足しになれば幸いである。

■『祈りの瞬間(とき)の中で』映像


鳥居巧
愛知県出身、慶応大3年

 戦争や戦跡というものに興味を持ち、映像を通して伝えたいと思い、今回の活動に参加しました。「あの日」から62年の歳月が流れた、今年の8月6日と9日に広島、長崎にて取材しました。式典会場で出会った方や、「ヒロシマ」、「ナガサキ」という空間が醸し出す空気を感じ取ってきました。人々は険しくて、悲しいまなざしでした。そこで受け止めた、被爆地からの声や祈りをここに詰め込みました。

■『トウキョウ』映像


村松佑樹
静岡県出身、慶応大3年

 現在の東京の街を、かつての凄惨苛烈なまでの状態にあった時代にさかのぼって、街の変遷や様子を切り取りました。大都市東京の深く重く、だが隠された傷跡を、感じずにはいられません。我が国が背負う、悲劇の過去としての東京をご覧ください。

■『トウキョウ・ソラ・ヒト』映像


蒲生美緒
北海道出身、早稲田大3年

 トウキョウ、ソラ、ヒト。カメラを持ち、住吉周辺の川辺を歩いていると、ふと、そんな言葉が浮かんだ。あの3月10日、無数の死体が浮いた川、焼き尽くされた町並み、人間、そして真っ赤な空。あのとき、真っ赤な空を見上げて、その下で、どれほどの思い、笑顔が焼かれたのだろうか? 2007年、月日は流れ、川辺では親子が笑い、子供たちは駆け抜け、恋人、夫婦たちが買い物袋をさげ、寄り添う尊い時間。緑は生い茂り、川は静かに流れ、真っ青な大きな空がそれらを抱く。月日は流れても、人が誰かを愛する心、流れる尊い時間、そしてそれを見守る大きな空は変わらない。きっと、そんな景色を想像することができれば、ヒトはもう少し「優しく」なれるはず。そんな思いで作った作品です。