母子像東京大空襲・戦災資料センター
戦争災害研究室だより題字

戦争災害研究室だより 第6号(2007年1月10日)
東京大空襲・戦災資料センター
〒136-0073 東京都江東区北砂1-5-4
財団法人政治経済研究所内
tel 03-5857-5631 fax 03-5683-3326
HP http://www9.ocn.ne.jp/~sensai/

第6回研究会報告

日時 2006年12月16日(土)14:00−18:00

場所 東京大空襲・戦災資料センター

報告題 平和博物館・歴史博物館などにおける、15年戦争関係の最近の取組について

報告者 山辺昌彦

出席者 青木哲夫 植野真澄 大岡聡 鬼嶋淳 土岐島雄 二瓶治代 山辺昌彦 山本唯人 吉田裕(50音順)

報告要旨

はじめに

 平和博物館・歴史博物館での15年戦争についての「平和のため」の取組を紹介するが、すでに、「戦後六〇年と歴史博物館・平和博物館の戦争展示」(『季刊戦争責任研究』51号所収、2006年3月)や「歴史博物館・平和博物館での一五年戦争関係の取組」(『史海』51号所収、2005年6月)において、2005年までについては書いているので、ここでは、2006年の展示を中心に取り上げた。具体的には、平和博物館と歴史博物館などに分けて、紹介した。また、関連して、戦争災害研究室がこれから取り上げようとしている「戦争体験の記録化と博物館」に特に関連する博物館の動向について、2006年での取組と、少し遡って近年の取組を紹介した。

 以下報告の概略を箇条書き的に示したい。

一、平和博物館

 ここでは、民間の平和博物館と、公立の平和博物館に分けて述べた。民間については2006年の特徴は、長年にわたって平和博物館の設置運動をしてきた市民団体が、博物館の開設へ向けて踏み出した点にある。この具体的な紹介と、既にできている民間の博物館における2006年に開かれた特別展など、近年の取組を紹介した。ただし、東京大空襲・戦災資料センターの動向については、研究会メンバーは承知していることなので、紹介を省略した。公立については、近年開館した平和博物館が、設置を要望してきた市民団体などに運営をゆだねたりすることが特徴的であるが、この点を中心に、市民団体と公立の平和博物館との関係を紹介した。次いで、既設の公立平和博物館における、特別展の開催などの充実した取組を紹介したが、ここでは、公立の平和博物館の中に、設置理念は維持しつつも、事業展開や常設展の内容を後退させようとする問題点がみられることも特に紹介した。

1. 民間の平和博物館の開設

「わだつみのこえ記念館」
2006年12月1日開館
1993年によびかけ
2001年〜2002年の遺書・遺品展の成果の上に戦没学徒の日記・ノート・書簡・葉書などの遺品を展示
『きけわだつみのこえ』1集・2集 収録者中心
名古屋市の「戦争と平和の資料館」
1993年から公設の「戦争メモリアルセンターの建設」呼びかけ
2005年「平和のための戦争資料館展」開催
 土地と1億円の寄付
自ら民立民営で資料館を建てることに
2006年7月から建設工事
2007年5月4日開館予定
愛知県の空襲や戦時下の暮らし中心の展示
一五年戦争の全体像と現代の戦争や平和問題も
「山梨・平和資料センター」
2003年から建設呼びかけ
2006年12月から建設工事に入る
2007年5月開館予定
展示、甲府空襲、甲府連隊、石橋湛山など
明治大学「登戸研究所展示資料館」
2006年7月「検討委員会」設置
2007年開館めざす
建物保存
収集した関係資料の展示
「松代大本営平和祈念館」
第一回「松代大本営平和祈念展」 2005年11月11日〜13日に
第二回「松代大本営平和祈念展」 2006年12月8日〜10日に
  いずれも松代公民館で
建設は進まない
「中国帰還者連絡会記念館」
2006年11月3日開館
「撫順の奇跡を受け継ぐ会」が 川越市に
博物館ではなく、図書館機能が基本

2.民間の既設平和博物館の動向

「ひめゆり平和祈念資料館」
若い世代への継承の努力
  学芸員中心のリニューアル
  学生との取組
企画展の継続的な開催
資料集などの刊行
青山学院高等学校入試問題への対応
「静岡平和資料センター」
静岡市の総合歴史博物館の建設は進まない
 市から家賃などの補助共催の事業
企画展の継続的な開催
 「今を問う、『静岡市大空襲体験画』展−戦争体験者が語る、体験画からの思い」
   2006年3月17日〜6月25日の会期
「清水空襲と艦砲射撃の原画展」
   2006年7月7日〜10月8日の会期
資料集などの刊行
 『静岡・清水空襲の記録』
 『市民が描いた体験画集静岡・清水大空襲と艦砲射撃』
   2005年6月20日刊
「女たちの戦争と平和資料館」
特別展の継続的な開催 図録も
 第一回特別展「女性国際戦犯法廷のすべて」展
   2005年8月1日〜11月20日の会期
   図録2006年5月刊行
 第二回特別展「松井やより 全仕事」展
   2005年12月11日〜2006年4月23日の会期
 第三回特別展「置き去りにされた朝鮮人『慰安婦』展」
   2006年4月29日〜11月12日の会期
   図録 2006年8月刊行
「高麗博物館」 
特別展示の継続的な開催
 「戦時朝鮮人強制労働・虐殺 日本軍「慰安婦」?海南島で日本は何をしたか」
  2006年5月17日〜7月16日の会期
    大阪人権博物館ができなかった展示会
「立命館大学国際平和ミュージアム」
メディア資料室開室 2005年1月
常設展リニューアル 2005年4月
   軍隊の展示を将兵の被害と加害に
   軍隊慰安婦、天皇の戦争責任、戦後補償・責任追及運動の展示
   収集資料の公開
「若人の広場」の資料受入 特別展開催 資料集の刊行
専門の専任学芸員がいなくなる
平和教育・研究セクターの未確立

3. 公立の平和博物館と市民団体

運営に関与
「長岡戦災資料館」   運営ボランティア開館2003年7月
   空襲体験者の聞き取りも 『長岡空襲の体験記録』2004年6月刊行へ
「岡山空襲平和資料館」 平和推進岡山市民協議会開館2005年4月1日
「岐阜市平和資料館」  友の会(2004年12月23日結成)
   『岐阜も「戦場」だった』2005年7月1日刊行

北九州市に公立で「戦時資料常設展示コーナー」開設 2004年1月21日
 民間の北九州平和資料館準備室は閉鎖
   施設の運営管理は安定したが、展示内容は後退
 北九州平和資料館をつくる会『北九州の戦争遺跡』2006年4月24日刊

4. 公立の平和博物館の充実とあらたな問題

「堺市立平和と人権資料館」
2006年4月1日のリニューアルによる展示内容の後退
 南京大虐殺事件、朝鮮人の強制連行・強制労働、シンガポールの華人虐殺など
   日本の加害についての展示がすっかりなくなる
 1990年代後半から攻撃を受けて、一部手直しをして維持してきたもの
ミニ企画展の継続的開催
 企画展「戦時下の市民のくらし」
   2006年7月1日〜9月29日の会期
   戦争の悲惨さ、平和の尊さ、いのちの大切さを考える
「埼玉県平和資料館」
知事の批判発言
 2006年6月27日 県議会本会議で
   「従軍慰安婦」はいなかった
   自虐的にならないように
常設展の年表の「日本軍南京占領」の下の
   「南京大虐殺」についての文章と写真を張り紙をして消す
テーマ展などの継続的開催 図録刊行
 テーマ展II「絵双六に見る昭和の世相」
   2006年2月14日〜4月9日の会期
 テーマ展I「時の記録者−絵葉書にみる昭和と新収集資料」
   2006年4月29日〜6月11日の会期
 テーマ展II「戦時の装い−そのとき日本人は何を着ていたか」
   2006年7月22日〜9月24日の会期
   図録 刊行
 テーマ展III「埼玉の戦中・戦後」
   2006年10月21日〜12月3日の会期
戦争体験者の証言ビデオ 撮る  
戦争体験者との交流会・ 映画会・平和朗読会などの継続的開催
「大阪国際平和センター」
特別展の継続的開催
 必ずしも15年戦争ではない
 特別展「戦争で失われた船」展
   2006年7月19日〜9月10日の会期
21世紀の平和を考えるセミナーの継続的開催
戦争遺跡見学会の継続的開催
平和祈念事業の継続的開催
「姫路市平和資料館」
企画展などの継続的開催
 開催準備は業者委託
 収蔵品展「資料に見る戦時下の国内生活?」
   2006年1月12日〜3月26日の会期
 春期企画展「母たちの太平洋戦争」
   2006年4月8日〜7月2日の会期
 秋季企画展「伝えよう!戦争の記憶を子や孫へ」
   2006年10月1日〜12月20日の会期
   日本絵手紙協会の協力で、絵手紙を中心に展示
「広島平和記念資料館」
企画展の継続的開催
 2005年度第二回企画展「宮武甫・松本栄一写真展−被爆直後のヒロシマを撮る」
2006年3月15日〜9月28日の会期
  2006年度第一回企画展「託された過去と未来−被爆資料・遺影・体験記全国募集新着資料より」
   2006年7月20日〜2007年7月10日の会期
「高松市市民文化センター平和記念室」
遺品展・写真展などの開催
 常設展示室の「最近の収蔵品コーナー」で、
   2006年6月1日〜9月30日の会期
   「広島原爆救援活動」の絵画23枚などを展示
 「平和記念室収蔵品展」
   高松市市民文化センター1階ロビーで
   2006年8月23日〜31日の会期
 「高松市戦争遺品展」
   高松市役所1階市民ホールで
   2006年7月31日〜8月4日の会期
 「高松戦災・原爆写真展」
   高松市役所1階市民ホールで
   2006年8月7日〜11日の会期
「長崎原爆資料館」
所蔵資料展や写真展の継続的開催
 「原爆資料館所蔵資料展」
   2006年2月3日〜3月23日の会期
 「原爆資料館開館一〇周年特別企画展」
   2006年6月28日〜8月31日の会期
 企画展「「六〇年という歳月を越えて資料が語る被爆の実相」」
   2006年10月4日〜2007年3月19日の会期
「沖縄県平和祈念資料館」
特別企画展の継続的開催
 第七回特別企画展「沖縄戦における住民動員−戦時下の根こそぎ動員−」
   2006年10月10日〜12月17日の会期
   図録刊行
『平和への証言−体験者が語る戦争』2006年3月刊行

二、歴史博物館などでの取組

歴史博物館については、新たな歴史博物館での取組と、継続して特別展などを開催している歴史博物館の取組とを中心に、それ以外の歴史博物館も含めて、紹介した。2006年は、戦後60年であった2005年に比べて、15年戦争関係の特別展を開催した歴史博物館の数は少なかったが、重要な位置を占める歴史博物館で、初めての15年戦争関係の本格的な特別展が開催されたことが特徴的である。この紹介をしたが、ただし、国立歴史民俗博物館については、既に第3回研究会において議論したので、内容紹介を省略した。

毎年のように、15年戦争関係の特別展を開催している歴史博物館における2006年の特別展などを紹介したが、いくつかの歴史博物館で、2006年には開催されなかったということも起きている。

関連して、大学の文書館で、学徒出陣や学徒勤労動員について、特別展などの取組が、2006年はいくつかの大学でなされるなど、画期的な年であったので、これらについても紹介した。また、図書館ではあるが、2005年に開館した「奈良県立図書情報館」の「戦争体験文庫」では、2006年から継続的に実物資料の展示会を開催しているので、これも紹介した。

1. 新たな歴史博物館の取組

「大阪人権博物館」
2005年12月リニューアル
 植民地支配と差別との闘い
   朝鮮人の徴用・徴兵 協和会
   戦後補償
   従軍慰安婦
 当事者の証言で解説を
企画展「15年戦争を生きぬいた人々〜館蔵資料を中心に〜」
 2006年7月25日〜8月27日の会期
 資料の多くは被差別部落地域の人びとから人権博物館に寄贈されたもの
 戦時下の戦意高揚ポスターも
 渡辺憲夫の沖縄戦の記憶の写真も
   戦争で被害を受けたアジア各地における戦争の記憶を記録した写真家の作品も
 江成常夫の満州の戦争孤児、伊藤孝司の韓国・朝鮮人被爆者
 図録を刊行
「長野県立歴史館」
「戦時下の子どもたち−信州の15年戦争」
 2006年9月30日〜11月12日の会期
 郷土の兵士の個人史、満蒙開拓団、学童疎開、学徒勤労動員などを重点に展示
 満州事変を侵略と明記
 図録を刊行
「国立歴史民俗博物館」
特別企画「佐倉連隊にみる戦争の時代」
 2006年7月4日〜9月3日の会期

2. 歴史博物館の継続した取組

「栗東歴史民俗博物館」
テーマ展「平和のいしずえ2006」
 2006年7月23日〜8月27日の会期
 市民から提供された資料により、栗東の人びとが経験した戦争や戦時下の生活をたどり、戦争と平和について考える
 2006年も満州事変を契機に中国東北部に侵略を開始したと明記
 戦時下のポスター類、記章、除隊記念盃を特集
 徴兵令、日清・日露戦争から展示
 代用品、焼夷弾、婦人会のたすき、衣料切符、紙芝居、慰問絵葉書なども展示
 2006年は図録がなくて、展示資料リスト付リーフレットのみ刊行
「蕨市立歴史民俗資料館」
第17回平和祈念展「戦中から戦後へ 」
 2006年8月1日〜31日の会期
 悲劇を繰り返さないために、戦争という事実と記憶を次世代に伝えるために
 「15年戦争の時代」「作家が語る8.15」「新聞報道に見る終戦前後」「引揚の苦難」「戦後の人々の暮らし」などについて
 当時の新聞、召集令状・千人針・日の丸寄書などの出征関係資料、
   紀元2600年関係資料、伝単、灯火管制具、引揚関係資料、墨塗り教科書、新憲法関係資料、代用品、ジュラルミン製品、カストリ雑誌などを展示
   解説のリーフレットを発行
「福生市郷土資料室」
企画展示「平和のための戦争資料展」
 2006年7月1日〜10月1日の会期
 近代戦争の始まりである日清戦争から、太平洋戦争までの歴史を、福生地域の郷土資料を通じて紹介
 戦時下の資料としては、軍事郵便、千人針・のぼりなど出征兵士の関係資料、
   戦時下の子どもの生活用品、家庭用品購入通帳、妊産婦手帳、
   2.26事件関係の号外、防空日誌、罹災証明書、家屋焼失証明書、防毒面、
焼夷弾などを展示
 「福生を中心とした軍資施設と戦災地図」も
 多摩飛行場(福生飛行場)などの旧日本軍の関係
   アメリカ軍横田基地内にあった建築物資料・出土資料、
   無線機、壺、整備工具、地図などを展示
   昨年は日清日露の錦絵中心図録作成
   来年に資料目録の形での刊行を予定 今年は図録・リーフレットなし
「ふじみ野市立上福岡歴史民俗資料館」
企画展「第1陸軍造兵廠」
 2007年1月19日〜2月18日の会期
「福岡市博物館」
「戦争とわたしたちのくらし15」
  2006年5月23日〜7月17日の会期
  6月19日の「「福岡大空襲の日」」の前後に、館蔵の戦時資料を展示するシリーズ
  今回は、防空ポスターや書類、福岡大空襲で焼け残った瓦や時計などを展示
「向日市文化資料館」
夏のラウンジ展示「'06くらしのなかの戦争」展
  2006年8月12日〜9月24日の会期
  市民から寄贈された資料を展示し、戦時下の人びとのくらしをたどるもの
  奉公袋や軍隊手帳、真珠湾攻撃を伝える新聞、
    入隊から除隊までの軍隊生活を表した漫画や日誌なども展示
「大山崎町歴史資料館」
小企画展第8回「平和のいしずえ展」
  2006年8月10日〜27日
  戦争前後の資料を展示して、平和の尊さを考えるもの
「浅井歴史民俗資料館」
終戦記念展「応召先の敦賀連隊」
 2006年7月23日〜8月27日の会期
   「終戦記念展」は2003年から毎年夏に開催しているもの
   一年をかけて調査して、収集した資料を、聞き取りの成果と合わせて展示
 敦賀連隊関係資料、敦賀空襲関係資料、戦場の郵便配達員赤たすき、
 出征直前に家族にあてた手紙、安明寺の学童集団疎開関係資料、
 戦時中の嫁入道具、荷車、墨塗り教科書、紙芝居、生活用品など展示
2003年度企画展「終戦記念展−子どもたちに伝えたい戦争の記憶」図録刊行
2004年度企画展「終戦記念展−父帰る戦争の記憶」図録刊行
2005年度、2006年度企画展の図録は編集中
「近江日野商人館:滋賀」
第19回「日野と太平洋戦争」展
 2006年8月1日〜31日の会期
 学校生活・兵隊送り・遺骨迎え・避難訓練・防火訓練・勤労奉仕・服装・食べ物など戦時中の子どものくらしを伝える土人形や絵が中心
 教科書、教育勅語、双六、中等学生の学徒勤労動員・軍事教練関係の資料、
   日の丸寄せ書き・千人針・奉公袋・赤たすきなどの出征兵士の資料、たすきなどの婦人会の資料、代用品、配給品、衣料切符、 灯火管制具・メガホーン・防空頭巾・防毒面・救急袋・空襲警報の表示板など の空襲・防空関係の資料の物資料も
   兵隊送り、遺骨迎え、忠魂碑、防空演習、勤労奉仕、大阪から日野にきた疎開学童などの写真も
   遺書・遺品ともに地区別の戦没者数の図表も展示
   大きな犠牲を払った太平洋戦争によって、日野の人がどんな生活をしいられ、どんな苦労を経験したかを伝えて、非人道的な過ちを繰り返さないようにし、平和への思いを確かなものにする
「銅鐸博物館」
夏期テーマ展
  平和をテーマ 必ずしも15年戦争ではない
 「女性たちの昭和史−高木婦人会文書−」
  2006年7月20日 〜 9月3日の会期
  地域婦人会の活動のあゆみや戦時下の活動を伝える史料と
    千人針や婦人会のたすきなどの戦時資料を展示
  展示資料リスト付リーフレット刊行
「昭和のくらし博物館」
「小泉家に残る戦争展」
  2006年8月1日〜9月3日の会期
  「戦争はいけない」と言いつづけるために開館以来毎年8月に開催しているもの

3. 大学文書館での調査や展示取組

「京都大学大学文書館」
総長裁量経費を受けて、京都大学における「学徒出陣」に関する調査・研究
 『京都大学における「学徒出陣」調査研究報告書』2006年8月刊行
 企画展「京都大学における『学徒出陣』」開催
   2006年1月17日〜4月2日の会期
「東北大学史料館」
企画展「東北帝国大学の学徒出陣・学徒動員」開催
 2005年11月1日〜2006年2月24日の会期
「明治大学大学史資料センター」
第1回企画展「明大生と学徒兵」開催
 2006年7月1日〜8月19日の会期
 明治大学の学徒兵に関する基本資料と、
 第1回目の学徒出陣をし、戦死した武石益則(政治経済学部)の一連資料を展示
「駒沢大学禅文化歴史博物館」
特集展5「戦争と大学」開催
 2006年7月3日〜9月29日の会期
  戦時下の駒沢大学の様子を物語る資料や写真を展示
   「学徒勤労動員」と「学徒出陣」を中心に
   校舎の一部が軍需省の施設として徴用
   榊原克巳が使用していたゲートルと柔剣道の授業用手袋
   学徒出陣で出征する中西道瞻のため、教員の衛藤即応、澤木興道、榑林皓堂が寄せ書きした日章旗
   勤労奉仕の告示、徴兵検査終了学生への告示
   写真
   校庭での軍事教練、教員・学生の出征を祝すポスターが掲示した掲示板、軍需省のトラックに乗り込む学生、小林君出征、「神宮外苑学徒壮行会」

4. その他の歴史博物館、図書館

「八王子市立郷土資料館」
特別展 市民の記録した戦後の八王子
 2006年8月1日 〜9月10日の会期
 図録にあたる『焼け跡からの出発』を刊行
 写真展、淵上明が1946年3月から8月にかけて撮影した
   八王子市内の空襲による焼け跡の写真
 付録として奥住喜重の提供による、空襲から45日後の9月15日にアメリカ軍が撮影した、八王子の町の写真も展示
「東大和市立郷土資料館」
写真パネル展 多摩の戦跡 
 2006年8月4日〜31日の会期
 「展示写真一覧」と「多摩の戦跡 所在マップ」を作成し配布
「川崎市民ミュージアム」
「名取洋之助と日本工房[1931-45]−報道写真とグラフィック・デザインの青春時代−」
 2006年7月8日〜9月3日の会期
 巡回展 福島県立美術館は会期/2006年2月11日〜3月26日
「日本新聞博物館」
企画展「昭和史の風景−江成常夫写真展『偽満洲国・鬼哭の島』・
 神奈川新聞は『戦争』をどう伝えたか」
 2006年8月1日〜9月24日の会期
「四日市市立博物館」
学習支援展示「四日市空襲と戦時下の暮らし」
 2006年6月17日〜8月20日
「大阪歴史博物館」
特集展示「あのころ、こんな子どもの本があった−戦中・戦後の絵本から教科書まで−」
  2006年6月14日〜 8月28日の会期
「子どもの本の歴史」「検閲」「原爆」などのコーナー
主な展示
  メリーランド大学・プランゲ文庫に所蔵される日本の児童書
  敗戦後、大阪で刊行された雑誌『ひかりのくに』、新聞『コドモ大阪』など
  敗戦直後の墨塗り教科書、暫定教科書、アメリカの教科書を参考にした教科書
  アメリカ統治下にあった「沖縄」での
    子ども文化に関する統治政策や、沖縄独自の出版活動
 展示資料リスト付リーフレット刊行
「奈良県立図書情報館」2005年11月に開館
その中に「戦争体験文庫」がある
図書、雑誌中心に開架書架に配架
実物資料も収蔵し、展示会を開催
 「戦時下の国民生活 1 徴兵される青年たち」
   2006年2月1日〜3月30日の会期
 「戦時下の国民生活 2 銃後の生活」
   2006年4月1日〜5月30日の会期
 「戦時下の国民生活 3 占領下の生活」
   2006年6月1日〜7月30日の会期
 「戦争と教育 1 ある教育実習生の日誌を中心に」
   2006年8月1日〜9月30日の会期
 「戦争と教育 2 学童疎開」
   2006年10月1日〜11月29日の会期
 「軍隊と地域 1 戦地・占領地での軍隊−ビラと軍票」
   2006年12月1日〜2007年1月30日の会期

三、戦争体験の記録化と博物館

ここでは、証言、証言の映像、体験画の収集と展示などについての近年の博物館における取組を紹介した。あわせて、歴史博物館などにおける、記憶を特に打ち出した特別展の事例も紹介した。

1. 証言の展示

「ひめゆり平和祈念資料館」
「沖縄県平和祈念資料館」
  では、展示の重点に
「しょうけい館」では資料の展示とともに証言も展示
「大阪人権博物館」では当事者の証言で解説を
「沖縄県平和祈念資料館」
『平和への証言−体験者が語る戦争』2006年3月刊行
文字や映像での証言を収録して刊行
「国立広島原爆死没者追悼平和祈念館」
「国立長崎原爆死没者追悼平和祈念館」
 遺影と証言が主な展示
証言を展示場の映像で提供
 「ひめゆり平和祈念資料館」リニューアル後それまでは体験者が語っていた
 「沖縄県平和祈念資料館」
 「広島平和記念資料館」
 「長崎原爆資料館」
「埼玉県平和資料館」
 系統的に証言の映像化に取り組む
  これを紹介する企画展「戦争の記憶−二〇五人の証言−」を2005年に開催

2. 体験画の展示

「広島平和記念資料館」
  はじめは日本放送協会が募集
  継続的にテーマを変えて 体験画を展示
「大阪国際平和センター」
  開館以来展示 既に空襲を記録する運動において、体験画を集めていた
「静岡平和資料センター」
戦後六〇年記念事業「静岡・清水空襲体験画・写真展」
静岡平和資料館をつくる会と静岡市・静岡市教育委員会との共催により開催
『静岡市民が描いた体験画集 静岡・清水大空襲と艦砲射撃』を刊行
「すみだ郷土文化資料館」
2003年度と2004年度の二か年にわたり、空襲の直接体験者から体験画を募集
 2004年度企画展「 描かれた東京大空襲−絵画に見る戦争の記憶」 
 2005年度企画展「東京空襲六〇年−三月一〇日の記憶−」   
『あの日を忘れない−描かれた東京大空襲−』
  2003年度に募集した体験画を収録 柏書房から市販
「豊島区立郷土資料館」
募集して2005年に「東京空襲六〇年−空襲の記憶と記録−」で展示
「沖縄県平和祈念資料館」
2005年に体験画の特別展「体験者が描く沖縄戦の絵」展を開催
 これは館の募集ではなく
  日本放送協会が募集
  体験画集の刊行も、NHK沖縄放送局編 日本放送出版協会発行
   『沖縄戦の絵−地上戦 命の記録』2006年6月10日刊
「近江日野商人館」
「日野と太平洋戦争」展
  体験画を展示 中心資料に 土人形と共に館長が制作

3. その他

「蕨市立歴史民俗資料館」
   平和祈念展「時代、一五年戦争の記憶」展
   趣旨で記憶を次世代に伝えるためにとうたっている
「鎌ヶ谷市郷土資料館」の戦後六〇周年事業、企画展「戦争の記録と記憶 in鎌ヶ谷」
「君津市立久留里城址資料館」の企画展「平和六〇年 戦時下の記憶」
「水戸市立博物館」の終戦六〇周年企画「戦争の記憶展−平和への祈りを込めて−」
「新宿歴史博物館」の「平和展−未来へつなぐ私たちの記憶と記録−」
 「岡崎市郷土館」の企画展「終戦六〇年−戦争を語る品々、伝えたい記憶−」
 「志摩市立磯部郷土資料館」の「戦争の記憶展」
「広島市郷土資料館」の被爆・戦後六〇周年記念企画展「戦中・戦後の市民生活展−よ  みがえる戦争の記憶・はじめて知る苦難の時代−」
「高麗博物館」の特別企画展示
「朝鮮人戦時労働動員(強制連行)を考える−加害の記憶  と和解−」
「国立広島原爆死没者追悼平和祈念館」と「国立長崎原爆死没者追悼平和祈念館」
合同企画展「しまってはいけない記憶−体験記にみる被爆の実相−」
     「追憶 時代を超えた願い−体験記と写真が語るあの夏の日−」
「福島県歴史資料館」の「記憶のなかの戦争」
「広島市公文書館」の「描かれたHIROSHIMA展」
「各務原市歴史民俗資料館」
1996〜1999年、総合的な戦時体験記録の報告書を刊行
  『各務原市民の戦時体験』、『各務原市民の戦時写真』、『各務原市民の戦時記録』
「睦沢歴史民俗資料館」
戦争体験を厳密にありのままに伝えるという趣旨
  報告書『睦沢町民の戦争体験』一、二、三集、1998・1999・2003年に刊行
  2000年に企画展「睦沢町民の戦争体験」を開催
  2005年に企画展「睦沢町民の戦争体験−戦後六〇年の記憶−戦争の歴史の事実を事実として伝えるために−」

討論概要

戦後60年以降の平和博物館

吉田 中帰連の資料館は、主だったメンバーが寄贈した図書が中心、目玉は撫順の戦犯収容所の供述書。図書館という感じだと思う。

植野 奈良県立図書館で展示されているものは、全国に声をかけて、寄贈されたもの。色々なところから来ている。司書が減らされていることもあって、きちんと目録と作るところまでいっていない。Webcatに登録している。戦地別など、独自の配架。このあいだ、共同研究戦友会のグループが、第2弾の研究会をやるので各戦友会に問い合わせたところ、ほとんどここに寄贈されている。

鬼嶋 今年の平和博物館の特徴はどういうところにあるか。

山辺 民間の博物館が、実際に開館するところまできた。特別展に関しては、やはり60年の節目の年が多く、そのあとはがくんと減った。ただし、リバティおおさか、歴博など、いくつかのところで新しい芽が出ている。逆に、公立の堺、埼玉などでは攻撃があって展示内容が変えられるということがあった。

植野 企画展のタイトルに「記憶」という言葉の入っているものが多いが、「記憶」を謳うことで新しいことがあるか。

山辺 中身は基本的には同じ。ただし、例えば水戸の場合は証言を含めた展示をしている。証言や体験画を出すことによって、「体験」を「記録」にするようなかたちが、「記憶」を強調しているところでは幾つかあるような気がする。記憶をタイトルにあげた時にそれが展示の特色にどうつながっているかというと必ずしもよく分からないものもある。展示会そのものが記憶を伝えることになるという意味で見たほうがいいかもしれない。

吉田 「記憶」という場合は、直接体験してない人に呼びかけるという意味で出ているわけではないのか。

山辺 そういう意味で出るといっていいと思う。

吉田 例えば、学童疎開展をやると、集まってくるのは体験者の人たち。そうではなくて、戦争体験を持った人はいないというのを前提にして、次の世代にアピールする仕方ということなのか。

山辺 そう思う。体験を直接伝えることのできる最後の時点にさしかかりつつあるという意味で、生に語るのではなくて別の形で若い人たちに伝えようという意識があって出てきている流れだとは思う。

植野 体験画という展示は昔からあるんですか?

山辺 ピースおおさかは70年代の開館以来、広島はかなり前から、東京はあまりなかった。

山本 静岡も出ている。記録する会の運動のなかでひとつの手法として出てきたものだと思う。本の出版がセットになる場合が多い。東京の体験画収集で欠かせなかったのはマスコミの役割。NHKでの報道があってはじめてこれだけの広がりが出た。証言と違い、「絵になる」という点もテレビが取り上げやすい理由になっている。

吉田 ピースおおさかと読売新聞大阪社会部の接点はあるのか。

山辺 読売新聞の資料をもとにできたというわけではないけれども、それは、全部ピースおおさかに入った。それとは独立に戦争展の資料は実行委員会が受け継いでいる。

「手紙」をどう展示するか

吉田 歴博の一ノ瀬さんたちによると、展示は100字以内でないと読まないという話。遺書のたぐいのものは若い人たちがよく読んでいるが、どういうふうに読んでいるかが問題。大和とか、硫黄島とか、『美しい国へ』でも遺書が使われている。複雑な経緯があって書かれた少尉の遺書の、ある部分だけをとってきて、国を思う心、家族に対する愛情の大切さとか、そういう文脈のなかで引用している。「手紙」をどういうふうに位置づけたり、批判したりすればいいか。きちっと位置づけないと情緒的なだけの読み方になってしまう。知覧でも若い人が遺書を見て泣いている。

山辺 鷲尾さんの遺書のノートがわだつみのこえ記念館に入っている。そこには、高木さんのコメントも付けている。わだつみのこえ記念館でもやっぱり、手紙とか日記をよく見てますね。手紙をよく読ませる展示は豊島区立郷土資料館がよくやっていた。

吉田 読ませ方を教える必要があるのではないか。そのまま読まれても困る。

二瓶 わだつみのこえ記念館の場合は状況の解説がついている。解説抜きで部分だけを引き出して読むと安倍首相のようなものが入ってしまう。実際その人が書いたものには、迫ってくるものがある

鬼嶋 そうすると問題はまわりのキャプションを読むかどうかになる。背景をいかに伝えるかが課題。

二瓶 絵や写真だと回りの情景も入ってくる。手紙だと子どもたちからどうして写真がないんだ、絵じゃなくて写真のほうがいいのにと聞かれる。

吉田 検閲の資料がある。検閲が手紙の内容をいかに規定しているかが、生々しく分かる。文字の書けない人もかなりいる。そういう資料をうまく組み合わせて展示ができないか

植野 しょうけい館の場合は70字といわれた。

大岡 音声解説はどれくらい効果があるのか。

植野 解説で書けなかった情報は音声ガイドに入れた。100字を超えると圧迫感があるといわれた。

大岡 映像はどうか。

山辺 展示の中でやる場合は、映像も5分が限度。視聴コーナーを別に作ってやる場合は違うけど、あまり長くはできない。

大岡 モニターの前に人だかりができてしまう。

山本 神戸の震災・まちのアーカイブというグループが中心になった震災10周年の展示に参加したとき、そのあたりの問題が議論になった、体験者が書いたものを「証言」ですというかたちで提示する仕方のなかに、人々が「直接書いたもの」を特権化するような視点が、すでに含まれてしまっているのではないかという指摘が出た。「「正しい事実」」というものがあって、「体験者の書いたもの」がその「事実」に最も近いんだという認識が、「証言」という捉え方のなかに含まれている。それによって、本当は当人の部分的な体験に過ぎないものを、一般化して提示してしまうことが問題を呼び込む原因になっているのではないかという批判だったと思う。この論点は、記録する会がやってきた「体験記録集」というかたちの記録の提示の仕方にも通底してくるものではないか。

鬼嶋 記録する会の活動は、記録を「大量に集めた」というところに価値がある。それによって、記録を構造化し、そういう批判をなるべく少なくしようとした。記録する会もその問題には気づいているのではないか。資料との自由な関わり方というのは分かるが、完全な自由っていうのはありえないわけで、それは逆に何でも自由に解釈できてしまう自由にもつながる。それは『美しい国へ』の問題とも重なってくる。資料館とか博物館としては、もちろん自由に色々な角度から関わってもらいたいんだけども、その持っている文脈というのはきちんと提示しなきゃいけない。それが、遺書を提示すると同時に、遺書が書かれたときの状況を書くということ。それをやらなかったら資料館ではない。そこは議論としてゆずれないところだと思う。それをいかに分かりやすくできるかが課題。展示する方も展示がすべてをあらわしているとは思っていない。

展示業者の役割・歴史認識

鬼嶋 体験画など一つの展示手法が出てくるとそれがほかのところでも取り上げられるようになる。ある展示手法が登場してから広がる経過というのはどうなっているのか。それを取り上げる学芸員の状況、全国的な連絡なども含めた形で加わると、70年代と現在との時代の違いとか、なぜ今体験画が出てくるかなどの点も分かるのではないか。資料館そのものの成り立ちが違うということとも関わる。

山辺 担当している学芸員の意識と、属している組織との関係の両方がある。やろうという意欲と、それができる条件とのかけあわせ。公立の平和博物館の場合は専任がいないところがほとんど。ピースおおさかも非常勤。逆に公立の博物館で学芸員の立場がきちんと確立されていないということが、色々な問題を生んでいる。

吉田 メディアの側の変化も大きい。今はとりあげずらい雰囲気が出てきている。

山本 映像に対する需要が高まっていると感じる。テレビの取材を受けると、「絵になるもの」や「分かりやすさ」を求められることが多い。テレビ的な「分かりやすさ」と分かりにくい現実のギャップを埋め合わせるなかで、色々なものがそぎ落とされていく。そこに働く力学は何なのか。

吉田 展示業者の研究というのはあるんですかね。

山辺 展示学会というのはある

山本 展示業者のもっている展示論は重要じゃないか。展示業者の戦争認識が、戦争展示のかなりの部分を実体的に規定しているところがあるように思う。

植野 音声ガイドはたくさん盛り込めるが、そこでやられているのは、手紙の世界を一層情緒的に盛り上げていることであったりする。音声ガイドの分かりやすさが、逆に危険な部分を持っている。体験記などを書いてる人がいっぱいいた時代は、書いてないことがあるのは当たり前だったのように思う。写真や証言がないことの意味が変わっているのではないか。

吉田 オーソドクスな歴史学で言えば、政治家とか官僚がその場でかいた日記が「一次資料」。庶民の体験や記録に光を当てたのは、家永三郎さんの『太平洋戦争』が最初だと思う。残されたものから見えないものもあるし、語られていないこともある、検閲の問題もある。総合的に見ないといけない。展示業者の役割が気になる。博報堂とか電通は研究がある。戦時下のキャッチコピーなど技術者が戦時協力する中で基礎を築いて、戦後の高度成長につながっていく。展示業者のほうも戦争中にデパートで展示したりする。展示業者がどういうふうに養成されて、どういうふうに業界が成立してきたかということは調べる価値がある。

山辺 乃村の関係者が書いた自伝的な本はある。乃村の創業は明治から。書かれた記録はあるが研究はないかもしれない。

植野 遊就館の倉庫を整理したら日露戦争のあとの展示の図面が出てきて、乃村工芸社と書いてあったという話を聞いた。やっぱり昔から戦争展示に関わっている。

吉田 遊就館付属の国防館は近代戦のジオラマを作った。戦闘機の搭乗体験装置とか、毒ガスとか、そのころからそういうものが出てくる。

植野 業者の資料というのは残っているのか。

山辺 ポスターはコレクションとして残っている。

山本 博覧会はどうですか。

山辺 もちろん博覧会の研究の方が多い。事業として全然規模が大きいから。

吉田 今乃村は海外にも進出している、展示のカタログを集めたい。

土岐 ぼくは朝日新聞の文化事業部で展覧会をやっていた。空襲展から展覧会にかかわりだした。戦前は、菊人形とかそういうところから販売拡張の目的で始まって、文化事業部は販売直属だった。大正・昭和になって新聞社が文化事業を前面に出すことになって、編集の要素を入れるようになって、文化事業部的なものに成長していく、戦後20年くらいやってきた範囲でのドキュメント、空襲展からはじまって沖縄戦もやりましたし、ひめゆり展がもとになってひめゆりができた。朝日を中心とした文化事業としての展覧会の資料をだいぶ集めたりもしました。

吉田 朝日は資料的には残っているんですか。

土岐 残ってないです。大阪では最近少し出ましたけど、朝日は編集者の天下で、催し物の企画担当者なんかは二段も三段も下に見られている。資料なんかも展示が終わると、いらないといわれる、それでかなり持ってきちゃったものがある。

植野 図録なんかはとってあるんですか

土岐 自分のうちに200〜300冊はある。

鬼嶋 新聞社によって違うんですか、戦前でいうと読売とかも熱心にやってますよね

土岐 違うでしょうね。百貨店と新聞社の文化事業部的なものが結びついて戦後20年くらいはリードしたんじゃないか。それが今これだけ博物館、美術館もできて、新聞社の役割もかわってきて、そのなかに丹青社、乃村工芸社が入ってきている。

山辺 朝日の社史で、文化事業部の歴史があるときいたことがある。

山本 展示業者というのは、公立資料館と同じような展示業者がやってくるんですか

土岐 そうです、朝日の側の人間は展示品をいじらないことになっていた。

植野 空襲展のときに参考にしたものはあったんですか

土岐 いやぜんぜんなかったですね。「みなさんも参加する戦争展」というキャッチフレーズ。

「民間」の役割、「知りたい」という原点にどう応えていくか

山本 民間の平和館がここへきて開館している、空襲展も新聞社で民からはじまった。それがある時期から公立で博物館にしてほしいという運動が出てきて、あるところではそれが実ったケースもあるが、逆に公立化することによる問題点もでてきている。ここへきてやっぱり「民」というかたちで平和博物館ができているということをどう評価しますか。

山辺 難しいですね。公立の方が安定はすると思う、それだけ専任の人の人件費がたいへんだし、施設もそれができないところで民間ができているという面が強いと思う。ただし、ここへきて公立のなかで制約が強くなっている。それを打開するには民間でないとできない面が強まっているような気がする。民間は作るときは勢いがあっていいんだけど、維持するのがたいへん。それがこれから問われる。

土岐 あまり触れられていないが、公明党の戦争展というのがある。ずいぶん前から各地でやっていた

山辺 創価学会の常設の展示施設は横浜にある。

山本 それぞれの施設に「博物館」というタイトルがついてるわbナすけど、もともと、西洋で「ミュージアム」という言葉が出てきた文脈からすると、概念の内容がすごく変化している。市民が市民に情報を発信するための場所として「博物館」が捉えられている。その積極的な意味というのもあるんじゃないかと感じました

山辺 個人でやっているものがけっこう多い。個人でもできる面があるにはある。ただし、「博物館」を名乗るのは少ない、「資料館」と名乗っているものが多い。

山本 情報を発信する取り組みはどうなっているか。

山辺 新聞、テレビで取り上げてもらう。あとは、ホームページを出すくらいか。

二瓶 直接体験したことのない世代の人たちが、戦争を知るにはどうすればいいのか。体験というのは色んな体験があって、全部違う。一人の人の話をきいて戦争全体だと思ったら大間違い。よく体験コーナーというのがありますが、ちょっと疑問を持つ。埼玉や川崎の体験コーナー、昭和館の衣服を着られるコーナーなど。あれで、戦争の恐怖感がどれだけ伝わるのか。それよりも必要なのは、ドキュメント。絵は描く人の主観が必ず入る。写真も撮る人の主観が入る。でも写ったももが現実だと思う。そういう写真が人の心を打つ。それによって伝わってくる、想像できる。そういう展示が大切なんじゃないかと思う。子どもがはからずも「写真ないの?」といったのは、そこに原点があるからではないか。戦争を「知りたい」という気持ちが現れている気がする。

鬼嶋 一つ心配なのは、今、見る人がそこまで想像するんだろうかということ。だから色々な仕方で伝えた方がいい。

二瓶 そのときの状況を再現することはできないけれど。人の油がしみこんだような石とかね。そういうのがあると、ぐーっときますよね。

山本 ひめゆり資料館のリニューアルの時に次のような議論をしたそうです。展示論では、よく「物そのものに語らせる」というけれども、それは、付随する情報を知っているからできるんであって、情報がなければ、やっぱり物は物にすぎなくなってしまう。だから、新展示ではキャプションを充実させたという話が出てきた。それから、今日はあまり議論にならなかったけれども、直接人が立って、人が人に伝えるというタイプの展示ガイドがある。この役割は相当大きいんじゃないか。この部分の方法論がもっと吟味されていい。「語り自体」は目に見えなかったり、記録に残っていなかったりするので、職人芸的な感じで個人の力量に任されてしまっている場合が多い。そのために、語りの記録を残していくことはだいじだと思う。

(まとめ・文責山本唯人)

今後の予定

第7回研究会

日時 1月28日(日)14:00-18:00
場所 東京大空襲・戦災資料センター
報告題 戦傷病者戦没者遺族等援護法の制定過程について
報告者 植野真澄

従来、戦傷病者戦没者遺族等援護法の成立については、旧軍人軍属にその対象を限定した本法の性格とあいまって、戦後日本の講和独立といわゆる「逆コース」の時代の産物としてとらえられてきた。本発表では戦後日本の被占領期の戦争犠牲者援護施策から本法の成立に至る過程について同時代史的に位置づけることを試みることにしたい。