戦争災害研究室設立にあたって
吉田裕・戦争災害研究室長
総力戦は、前線と銃後の区別を消滅させ、一般の市民の間にはかり知れない惨禍をもたらす。この総力戦の実態については、歴史学・社会学・教育学など、様々な分野からの研究の進展が著しい。その到達点は、現在、岩波書店から刊行中の『岩波講座 アジア・太平洋戦争』の中に示されている。しかし、戦争災害の実態についての研究成果は、広島、長崎の原爆被害、沖縄戦などを別にすれば、意外に乏しい。各地の空襲を記録する会の貴重な成果も、その後、研究者によって、継承・発展させられているとは必ずしも言えないだろう。この様な状況を打開し、戦争災害研究の発展を促すために、この研究室は生まれた。研究者集団と市民グループが協力しあいながら、研究の発展に少しでも貢献することができれば幸いである。多くの方々のご助力をお願いしたい。
戦争災害研究室設立の経過
山辺昌彦・東京大空襲・戦災資料センター主任研究員
政治経済研究所の理事会において、東京大空襲・戦災資料センター付属の戦争災害研究室を設置することになった。
室長について、吉田裕一橋大学教授がふさわしいと判断し、就任をお願いして、承諾をえた。2006年1月18日に、 東京大空襲・戦災資料センターと吉田裕氏との打ち合わせをもち、研究方針と戦争災害研究室に参加いただく研究者の人選をした。それにもとづいて、依頼をして、承諾を得て、戦争災害研究室のメンバーを決定した。
そして政治経済研究所の3月15日理事会における確認を経て、2006年4月に戦争災害研究室が発足した。
第1回研究会報告
2006年6月11日 午後2:00〜5:00 於政治経済研究所
研究会では梶慶一郎・政治経済研究所理事の経過報告、山口孝・政治経済研究所理事長と土岐島雄・東京大空襲・戦災資料センター副館長のあいさつの後、山本唯人氏の研究報告「空襲研究における戦略・地域・個人間関係の再検討−大岡聡・成田龍一『空襲と地域』(『岩波講座 アジア・太平洋戦争』第6巻所収)を読む」、著者の一人である大岡聡氏によるリプライのあと、参加者全員で討論しました。
開室のあいさつ
山口孝・財団法人政治経済研究所理事長
戦争は経済的に大変な損失です。戦争は物的には資本循環を断ち切る意味があります。戦争は公害とよく似ています。災害の中身として物的災害と人的災害がありますが、人的災害の中には肉体的災害と精神的災害があります。戦争により、軍人・軍属ではなく、何も知らない女性と子どもが大きな被害を受けています。まずわびなければならないのは、日本の女性と子どもに対してです。東京大空襲・戦災資料センターの2階に蒼茫という絵が掲げてあります。蒼茫とは無辜の民、無辜の大衆という意味ですが、この人たちが一番被害を受けています。また、勝ち組の方も大きな災害や問題をかかえてきました。
戦争災害を防止するためには、何が必要かを考えざるを得ません。私は、国家の名の下で人を殺すから国家がない方がいい、民族の名の下で人を殺すから民族もなくした方がいい、宗教制度の下の人を殺すから宗教制度は大嫌い、富の不平等の中で戦争を起こりますから富の不平等もなくさなければならない、といったことを信条にしています。それをどうしたらいいのかというと、方法は難しいです。今一番考えていることは、国境とか民族とか宗教とか貧富の垣根を低くしていく以外ないということです。
ここで、資料を集め、研究をしていただいて、いい結論を出して、それを戦災資料センターの資料とし、研究として、展示につながっていけば非常にありがたいと思っています。どうぞよろしくお願いいたします。
戦災資料センターの第2期
…「記録する会」と戦争災害の関わり
土岐島雄・東京大空襲・戦災資料センター副館長
東京空襲を記録する会を最初から立ち上げまして、学者の方もいらっしゃいましたけど、マスコミの関係者が多くて、記録する運動としては成功しまして、全5巻の本を作るということで、私はその本作りということをしてきたわけです。本ができたあとは、集めた資料をどうするのだということで東京都と交渉があったりして、最終的には政治経済研究所の協力を頂いて、資料センターを作ることになりました。それから5年目、第2期になるかなと思っているのですが、去年の暮れから、東京空襲と並行して、戦争災害というテーマを新しく立てて、より広くというか、深くやることになりました。
もともと考えてみれば、記録する会をやっている時に並行して、戦災傷害者の方たち、東京にも団体がありました。名古屋では有名な杉山千佐子さんがいらっしゃり、横浜にも小野静枝さんという方がいらっしゃって、傷害者が戦後補償を求める運動、国への運動をやっていてなかなか実を結ばなかったということがずっとあるわけです。つまり、戦争災害の犯罪性にともなうところの補償の問題というのがあるわけで、現実の問題としては補償の問題が毎日今でも内外に問題を投げかけているということがあるわけです。
たまたま、私は本作りということから記録する運動をやりましたけど、学究の徒ということではなくて、もともと編集者、ジャーナリズムを目指していたものですから、その後は、展覧会や図録なども色々作ってきました。それで、5〜6年前から、伊藤暢直さんなどからは非常に厳しいご批判を頂いている新宿の平和祈念事業特別基金の専門委員ということで、週3日向こうに行っています。
新宿でやっているのは「慰謝事業」と言われているのですが、役人が「慰霊事業」「援護事業」など、言葉を作ったりして、これも、戦後補償の大きな流れの中で出てきたものです。もしぼくが戦争災害というテーマで勉強するとしたら、戦後補償の問題−−今、行政は「戦後処理問題」という形で、ある区切りをつけようとしているのではないかと思うのですが、「戦後処理問題」として集約されていく前の「戦後補償」の部分も含めた基本資料集のようなものを作ったら面白いのではないかと思っています。戦中の軍事補償も含めて、「補償問題」の全体を固めていく必要があるのではないかと思います。
もしそういうことで知恵を拝借するなり、ご指導いただければと思います。もともと、東京空襲を記録する会サイドにあって、傷害者から、記録する運動などということだけをやっているということについて非常に甘っちょろいということで、私と松浦総三は傷害者からずいぶんつるしあげをくっていたわけです。それ以外に、総理府の補助金をとっていた全国戦災者の団体もあります。全国的な運動をやろうとするときに我々は「記録する運動」ということで、マスコミ関係者などがうまく集まり、本を作るという区切りのある仕事で、3年間7700万円という額は、自治体としては割合出しやすかったと思います。
しかし、運動の光と影、我々は成功してあの本を作った、だけどその横にいつも、傷害者などからつるしあげをくって、展覧会をやっても会場におしかけられたり、全国連絡会議の席上で、傷害者といっしょにやってくれないということについてしかられたりして、松浦と私は公私色んな形でもっぱら謝るようなことをやっていました。
ですから、もし戦争災害という中の幅広い分野のどこかをやるとしたら、私自身は、戦後補償資料集成のようなものを、期限を切って、本としてまとめることをやりたい。インターネットも含めて、現実の生きた問題で、締め切りを作って結果を出すということでやるのかなと、今はそんなことを考えています。
報告要旨
空襲研究における戦略・地域・個人間関係の再検討 −−大岡聡・成田龍一『空襲と地域』(『岩波講座 アジア・太平洋戦争』第6巻所収)を読む
山本唯人
(東京大空襲・戦災資料センター研究員/東洋大学非常勤講師)
●はじめに…空襲論の系譜と論点
空襲記録運動を中心にした「空襲論」の系譜の整理とその評価
80年代以降 「何を」(対象)の拡大と「いかに」(伝承の方法論)の模索
米軍資料分析の精緻化とその課題
氏名記録運動、集団訴訟、在日朝鮮人の記録運動など90年代の動向が射程に入る
戦略・地域・個人の重層的関係という分析視角の設定
70年代:体験(個人)→地域→戦略
80年代以降:戦略→地域と、分析の重心が変化
論点
[1]50年代〜70年代〜90年代のつながりをどう位置づけるか
各段階での継承と断絶(新しさ)
80年代以降 運動の「制度化」と市民運動・個人活動として拡散していく部分
90年代以降は「記録する会」ではくくれない
[2]「研究」と「運動」の関係
「空襲記録運動」とはそもそも何を目指した、どのような運動として位置付けられるのか
「学習運動」という位置づけはやや疑問か
記録運動における「記録」と、学問的な実証の手続きとしての「記録」の区別
「記録運動」と「学問研究」の双方を、双方に「開いていく」という指摘は重要
[3]「被害と加害」問題の提起
この時点での議論をどう評価するか、90年代以降再燃する議論とのつながりは
1.「外地」の防空と空襲
「外地」の空襲:
空襲史の「時間」と「空間」の拡張
「本土空襲」「精密爆撃〜東京大空襲〜無差別爆撃」という認識の相対化
「東アジア地域」の空襲:
国際社会/国家の間に「リージョン」という分析単位の設定
「帝国」の支配地域も考慮に入れた研究の必要
「外地」の防空:
多民族的で人口の流動的な「外地」都市の実態
日本人と現地住民の統合策としての側面
「内地」の制度との関係、「ポスト・コロニアル」の社会への影響
論点
[1]新しい重要な論点、実証研究をどう進めるか
[2]国内・植民地を対象とする研究間の交流を
[3]「加害と被害の関係性の錯綜」をどう捉えるか
2.「地域」の破壊
2つのタイプの破壊:
a) 民防空政策が、地域社会に対して「自らの地域認識」と異なる秩序を押し付けることによる地域の破壊(社会的破壊)
cf.建物疎開 地域社会を「動員」しつつ、地域社会を「破壊」
b)空襲による物理的攻撃を契機とする地域の破壊(物理的破壊)
a)とb)の要因が累積し、「民防空」の主体として組織された「地域」が解体へ向かう
在日朝鮮人と空襲:
在日朝鮮人の地域からの排除・貧困と地域への動員・参加の構造
徴用・集住地区の実態と空襲被害の解明
「被害者共同体」の相対化
論点
[1]民防空・空襲・下からの地域形成の絡み合いの動態をどう整理するか
上からの組織化が地域に与える影響には段階・状況により様々なヴァリエーション
「民防空」が導入される前後の時期からの全体的な流れのなかで整理が必要では
[2]多様な「被害」の実態をどう描き出すか
外国人だけでなく、「国民」の内部も身分や社会的地位によって多様な構成
疎開、戦災孤児、学徒動員、徴用など
「階層」や「社会集団」を単位とした分析
それらの「集積」として「地域社会」の像を再構成する可能性
[3]空襲記録運動の中での取り組みの掘り起こし、位置づけ
3.「地域」の復興
「上から」再編された地域と「下から」立ち上がる地域のせめぎあい
町内会・隣組の再編成 「地域」の連続性
生活防衛のための「共同性」の浮上
地域の「発意」による区画整理(歌舞伎町)、区画整理反対運動(福井市)
論点
[1]占領〜逆コースや民主化運動など、全体的な流れと「復興」との関係は
[2]軍人・軍属中心の援護法体制の形成とどう関わるか
[3]冷戦期における安全保障システムの形成とはどうつながるか
おわりに
論点
[1]「総力戦」研究全体の中に、「空襲・戦災」研究をどう位置づけていくか
まだ詰められていない問題が多い
今後の課題
[2]複合的な「地域」概念の提起
これまでの「地域」概念:
個人が空襲を体験した場所
アメリカが戦略爆撃の対象とした場所
「地域」という中間的領域の持つ独自の意味や、複合的な構成に即した分析が、それほど自覚的に掘り下げられてきたわけではない
アメリカ軍対日本国民、軍部と民間、宗主国民と植民地の人々など、「様々な力がせめぎあい対抗する場所」としての地域
人々を規定する排除や支配、共同性、被害の構造などが生み出される過程を総合的に描き出していく上での重要な足がかりになるのではないか
討論概要
▼追加質問 青木哲夫
なぜ空襲と地域なのか、空襲研究で地域をふまえる意味は何か
▼リプライ…大岡聡
(全体について)
空襲を町内会など下のレベルから考えた。空襲前後を貫く地域の変容を明らかにすることを課題とした。
出した論点は外在的に無い物ねだりしたものであり、実証していくのは苦しい。
歴史研究で空襲を真正面から取り上げたものはない。
研究に際して、記録する運動の成果に依拠しないとできないので、これを捉え返す必要がある。
今の記録する運動へは、アメリカ軍の資料のみで全体像を語ろうとしており、爆弾を落とす側の視点に同化しているとの批判を持っている。落とされる側から空襲の全体像を目指した。
(はじめにについて)
運動と研究とでの記録の違いについては考えていなかった。
記録は個人がどうであったか書かれており、地域の視点で読み直すのに、苦労があった。
(1章について)
防空体制前史からは原稿を用意したが発表に際して切った。
防空体制の形成について、大連のみ史料があったが、しかし戦後を見通す史料はない。 台湾は総力戦の研究はあるが、防空体制の研究はない。総督府の空襲概況はあるが、数量のみで実態がわかる史料はない。日本人の手記しかない。台湾人は語ってきていないで、90年代末ではじめて出てきている。台湾でも空襲記録は公共圏に出ていない。
朝鮮半島への空襲は、解放をにらんだものと推測するが、空襲の意図についての研究はない。
本土空襲中心史観を問題にしたかった。精密爆撃から無差別爆撃への枠組みでこぼれるものもある。沖縄の位置付けを含めてどう組み替えるかが問題である。
(2章について)
防空体制が地域を破壊することを取り上げたが、地域の共同体・ 共同性を考え直すとは、はっきりと言っていない。
被害者共同体というとらえ方を壊したい。地域はエスニシティ・ジェンダー・階層性を含んでおり、一枚岩ではない。その上で集合体をどう作るかが問題だが、展望はこれからの課題である。
(3章について)
戦後史を復興の歴史として、どう組み立てられるか課題であった。物理的復興が急がれ、空襲の記憶が再編され、公的イメージが作られた。これに異議を唱えたのが70年代の記録運動ではないかと考えている。
80年代の記録運動が東京などでは、市民と自治体がタイアツプする形で制度化する。 大阪は距離をおいている。ピースおおさかに行くことになるが。空襲記録運動と政治との連関を検証する必要がある。
▼青木哲夫
本土空襲論を見直し、植民地・占領地を入れた視角で見ないといけないことはその通りである。アメリカのターゲットインデックスを見ると、ビルマ・中国・満州・朝鮮・日本と繋がっている。しかし、アメリカ軍の資料も資料批判が必要である。本土空襲の段階性については、精密爆撃の時期に無差別爆撃ないわけではない。たまたまもあるし、意図的にも二次目標は無差別でやることが決まっている。機銃掃射や艦砲射撃を見なければいけないが、このアメリカ軍資料はどこにあるのか。東アジア全体の段階性・戦略を考える必要がある。
▼植野真澄
本土は空襲、植民地・占領地は空爆と思っていた。空襲と空爆はどう違うのか。空襲研究に外地をいれて、何を明らかにしようとしたのか。
記憶の記録化と空襲の広がりとの2つの問題が分かれてあって、混じっているので、それぞれの位置付けが必要である。
東京で地域を考える場合、復員してきても、空襲で家がなくなっている問題がある。
▼大岡聡
復員や疎開から地域へ帰ってきて、どう地域をつくったかが、わからないという、地域の流動性の問題がある。
▼青木哲夫
焼け出された人がどの程度元の地域に戻ったのか、出たあと誰が入ったか分からない。
▼鬼嶋淳
空間論では、外地の問題や内でも在日の問題が出されており、時間論でも戦後の空襲論の問題が出されており、新鮮に思った。
記録運動など空襲論の文脈と、空襲の実態など都市論の文脈との、2つの関連がよくわからなかった。
▼大岡聡
記憶論までいけなかった。論文の最初のタイトルは「空襲論」だった。
※当日は、討論時間が不十分で話せなかった論点も多く残りました。この討論整理をふまえ、今後の戦争災害研究室の研究課題にからめて、次回に継続討論をしたいと思います。(文責・山辺昌彦)
今後の予定
第2回研究会「東京大空襲時の民間救護」
報告者:山本唯人 2006年7月9日(日) 午後2時から
会場:一橋大学 吉田裕研究室
2005年12月、東京大空襲・戦災資料センター主催で開かれた都市空襲シンポジウム会場において、空襲体験者で元都立大・和光大講師の槐一男氏から、ご自身の体験の紹介と共に、大空襲時の民間救護活動の記録について問題提起があった。これを受けて、センターから「民間救護」についての体験記の募集を呼びかけたところ、10名あまりの人々から応募があり、これまであまり知られていなかった「民間」を主体とする救護・救援活動の実態が明らかになってきた。ただし、「民間」とはいっても、実際には半官半民的なもの、防空体制の中に位置づけられたもの、位置づけがなく応急的に立ち上がったもの、軍や政府との関係など、様々なタイプのものが混ざっている。この報告では、現在までの記録の内容を整理して紹介すると共に、「民間」をベースとする多様な活動の実態を、戦時下における「社会」の記述にどう取り込んでいけばいいのか、検討する。
国立歴史民俗博物館・特別展示
「佐倉連隊にみる戦争の時代」見学会
日時:2006年7月22日(土) 午後1時集合
場所 :国立歴史民俗博物館 エントランス・ホール
東京歴史科学研究会主催のフィールドワークに合流します。
「東京空襲を記録する会」関係者
橋本代志子さんの聞き取り
日時 2006年7月19日(水) 午後1時から4時
会場 東京大空襲・戦災資料センター
「東京空襲を記録する会」関係者の聞き取りの第3回になります。