母子像東京大空襲・戦災資料センター

【08】3月1日(土)に公開研究会を開催します

東京大空襲はいつ決定されたか
−−米空軍に関する最近の研究から

以下のような次第で、戦争災害研究室主催の公開研究会(第15回研究会)を開催することになりました。

主催:東京大空襲・戦災資料センター 戦争災害研究室
報告:東京大空襲はいつ決定されたか
   −−米空軍に関する最近の研究から
報告者:荒井信一
    戦争と空爆問題研究会代表・駿河台大学名誉教授
日時:2008年3月1日(土) 14:00〜17:00
場所:東京大空襲・戦災資料センター2F(入場無料)

 日本の都市が焼夷弾攻撃に弱いことは、米軍関係者により早くから注目されていました。これまで、東京大空襲については、奥住喜重氏や今井清一氏の研究によって、米空軍参謀本部(AS)情報部が1943年10月に作成した報告書『日本、焼夷弾攻撃のデータ』、および作戦分析委員会(COA)による同年11月の報告書、44年10月におけるその改訂などが、実施方法の決定に至る重要なステップであったことが指摘されてきました。

 しかし、東京大空襲の作戦方法の大枠が、いつ、どのように決定されたのかに関する詳しい経過は必ずしも明らかではありませんでした。

 荒井信一氏は、米空軍の資料から、日本都市爆撃の方法に関する研究の経過を詳しく検討し、東京大空襲の具体的な作戦の大枠がほぼ44年4〜5月段階で決定されたことを新たに明らかにしました。公開研究会では、この東京大空襲に関する重大な事実について、研究の概要をご報告いただくと共に、労働者や家族・近隣などがターゲットに含まれていたこと、精密爆撃と地域爆撃の関係、ルメイ司令官やアメリカの指導者の責任などの論点にも触れていただく予定です。

※荒井信一氏には戦争災害研究室日本学術振興会科学研究費補助研究プロジェクト「東京大空襲体験の記録化と戦争展示」の研究協力者にもなっていただいています。

交通案内

▼JR「秋葉原駅」中央改札口を出て左の2番バス乗り場から都バス「葛西駅行き」(秋26)で35分、「北砂1丁目」下車、徒歩2分
▼JR「錦糸町駅」南口3番バス乗り場から都バス「東陽町行き」(東22)で「扇橋2丁目」下車、徒歩10分
▼東京メトロ半蔵門線・都営地下鉄大江戸線「清澄白河駅」3番バス乗り場から都バス「葛西駅行き」(秋26)で「北砂1丁目」下車、徒歩2分
▼東京メトロ半蔵門線・都営地下鉄新宿線「住吉駅」B1出口、徒歩18分

案内チラシ研究会の案内チラシ。クリックすると、PDFファイルがダウンロードできます。
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