母子像東京大空襲・戦災資料センター

【09】5周年を迎えた「世界の子どもの平和像」

「子どもの平和像」とは?

アメリカのアルバカーキの小学生たちが、広島の平和公園にある「原爆の子の像」の姉妹像として、「子どもの平和像」を作りました。このとりくみに参加したトラビス君が、1996年、原水爆禁止世界大会に参加し、全国高校生平和集会で、「ぼくの夢は、世界中に子どもの平和像を作ることです!」と発言しました。
これに応えようと話し合いを重ね、1999年5月30日に「世界の子どもの平和像を東京につくる会」を結成し、平和像建設の活動がスタートしました。それから、若者たちを中心に募金活動をひろげ、2001年5月5日、「核兵器と戦争のない21世紀」をめざして、資料センターの前に平和像が完成しました。

平和像前で元気にお話ししてくれた初代委員長さん。 向こうに立っているのが、司会をしてくれた上野太一君。

青空の下、実現した5周年のつどい

それから5年。資料センターの「平和像」前で、5周年のつどいが開催されました。すでに2児の母となった初代実行委員長、弁護士をめざして大学院で学ぶ2代目の実行委員長なども参加し、平和像をつくる運動がめざしているもの、培ったものを語り、歴史を前にすすめる力になろうと訴えました。当日は74名が参加、そのうち高校生は14名でした。センター内に会場を移して、グループ「P魂s」(ピーソウルズ)が東京大空襲に学びました。「この火を永遠に」合唱団も参加し、「じんちょうげの花と妹」などを歌いました。高校生との交流分科会ももたれ、若者たちの力がセンターいっぱいに広がった一日でした。

(平和像をつくる会OBで、当日司会をつとめてくれた上野太一君から、感想をよせてもらいました)

子どもたちに見て、触れて、感じてもらいたい

上野太一(世界の子どもの平和像を東京につくる会OB)

2006年5月5日。
「世界の子どもの平和像」が戦災資料センターの脇に建てられてから、5年を迎えた。
この日は高校生をはじめ、当時建設運動に関わっていたOB・OG、支えていただいた方々も参加して、盛大に5周年記念の集会を開くことが出来た。参加者からも分かるが、この集会は単なる5周年を祝うだけではなく、今後につながる集会になったと思う。
歴代実行委員長からも発言があって、建設当時の思いとこれからの平和像にかける思いが参加者1人1人に伝わった。
5年という節目を迎えたが、ここが決して終わりではない。世界の子どもの平和像が戦災資料センターと共に、東京大空襲の実装を伝え、戦争の真実から平和の大切さを感じてもらう場所になればいいと改めて思う。特に「世界の子どもの平和像」ということで、子どもたちに見て、触れて、感じてもらいたい。
そのためにも、今後の平和像の維持と広報活動に力を入れていきたい。