【08】遠山重子さんから庭石を寄贈していただきました
二度の炎をくぐり抜けてきた「石の記憶」に
耳を澄ませてみたいと思います
4月7日、遠山重子さんから、関東大震災・東京大空襲という二度の炎をかいくぐり、ご自宅で大切に保管されていた庭石を頂きました。
この庭石は、江戸時代から浅草の御書院番組屋敷にあったものです。明治に入って、浅草東三筋町(※)で眼鏡屋を営んだ重子さん(旧姓堀込)の曾お祖父さんがこの組屋敷の一部を購入し、敷地内にあった庭石をそのまま使用していました。1943(昭和18)年に重子さんは、歴史学者の遠山茂樹さんと結婚して練馬区に移られましたが、1945(昭和20)年3月10日、下町の東京大空襲で東三筋町の実家が全焼。ご両親と叔母さんが、遠山さんのお宅に疎開してきました。
その後、練馬に家を新築した際に重子さんたちはこの庭石を譲り受け、歴史の刻まれた大切なものとして保存し続けてこられました。重子さんは、「この石は私たちに地震など災害の怖さを教えると共に、戦争の悲惨さを忘れてはいけないことを語り続けているように思います」とおっしゃっています。
重子さんの家の歴史とともに、東京を襲った災害や戦争の記憶が刻まれたこの庭石を、センターでは大切に保管し、これからの活動のなかで生かしていきます。重子さん、ありがとうございました。石の語り伝える記憶に、耳を澄ませてみたいと思います。[山本唯人(東京大空襲・戦災資料センター研究員)]
※現在の台東区三筋。浅草寺あたりからは少し離れていて、鳥越神社のある鳥越や旧国技館のあった蔵前の近くです。早乙女先生の著書に出てくる「三筋の焼け残った電信柱」を思い出された方も少なくないことでしょう。