母子像東京大空襲・戦災資料センター

【17】夏の親子企画の報告です

学童疎開を今年のテーマとしました

掲載が遅くなりましたが、この夏に実施した「夏の親子企画」の模様を報告します。


 夏と云えば我々世代はあの戦争を思い出します。1945年8月15日正午日本中がラジオに集中しました。庶民が初めて聞く「神の声」天皇陛下の終戦の詔勅……永く、苦しかった戦争が終わりました。

 戦時下、男たちは戦場へと発って行きました。残された者たちは銃後の護りとして防空体制を強化し空襲と戦いました。その陰に「少国民」とよばれた子どもたちの戦場がありました。

 国策としておこなわれた学童集団疎開です。国民学校(現:小学校)3年生から6年生の幼い子どもたちは、次期戦力の保持と防空体制の足手まといから親や兄弟と引き裂かれ、見ず知らずの土地で暮らしました。10歳前後の子どもたちにとってその日々はどれほどに辛く、切ないものだったでしょう。空腹や「いじめ」もあったでしょう。夜になれば淋しさに床の中ですすり泣く子、おねしょをしてしまう子、蚤や虱に責められて眠れない夜、少国民たちは「戦争に勝つまでは……」と耐え抜きました。

 東京大空襲・戦災資料センターでは、6年目をむかえる「夏の親子企画」で、この学童疎開を今年のテーマとしました。8月15日から19日までの5日間、東京大空襲と学童疎開の体験に、紙芝居と朗読を組み合わせました。また期間中、学童疎開中の写真や親子の往復書簡、絵日記なども展示しました。

 学童疎開体験者の一人は子どもたちに「幸福とは何か? お父さん、お母さん、兄弟たち家族と一緒に暮らせることなんだョ」「戦争が終わった時、おじさんのお父さんも、お母さんも、お兄さんも、お姉さんもみーんないなくなってしまった……」。会場は水を打ったように静まり、子どもたちは身を乗り出して、吸い込まれるように聞き入っていました。

 あの戦争を庶民の立場からきちんと伝えることが戦争への抑止と平和への架け橋となることを強く感じました。

 家族が一緒に暮らし、食事をしたり、喧嘩をしたり、笑ったり、怒ったりするごく当たり前の日常がどんなに幸せなことか、あらためて思いを馳せ、戦争のこと家族のことなどを話し合う機会になればと願っています。

 来館者数は5日間を通して「親子企画」だけで377名、全体では450名強でした。