母子像東京大空襲・戦災資料センター

【30】8月30日(土)、特別展のギャラリートークを開催しました

「記憶のなかの神戸空襲」を描いた豊田和子さんと、
中田政子さん、日向寺太郎さんをゲストに迎えて

8月30日の土曜日、特別展「記憶のなかの神戸空襲−−豊田和子原画展」の企画の一環として、原画を描いた豊田和子さんと、神戸空襲を記録する会の中田政子さん、現在公開中の映画「火垂るの墓」の監督をつとめられた日向寺太郎さんをお迎えして、「ギャラリートーク−−伝えていくということ」を開催しました。その模様を写真で紹介します。


山本研究員最初は、センターの山本唯人研究員による、今回の趣旨説明。地図を用いて、アメリカを中心とする連合国の空襲作戦の全体像を説明し、同時期に空襲を受けた東京と神戸の共通性を示しました。

絵の説明をする豊田さん続いて山本研究員が聞き役となって、豊田和子さんから空襲時の体験談から子ども時代の思い出、絵を描くことになったきっかけ、絵に込めた願いなど、さまざまなお話をうかがいました。

戦時中の暮らしを語る豊田さん空襲というとどうしても炎の中を逃げまどった数時間の記憶が中心に語られがちですが、豊田さんは活気があった神戸の下町が戦時統制でどんどん息苦しくなっていったことにも多くの言葉を割き、戦争というものがいかに庶民の暮らしから喜びを奪うものであったかを浮き彫りにしてくれました。戦後の復興の途中で、粗末なもんぺ姿で復活した宝塚を観劇しに行ったエピソードなども、強く印象に残りました。

会場風景会場には、神戸空襲や東京大空襲の体験者をはじめ多くのみなさんが集まり、豊田さんの味わい深いお話に熱心に耳を傾けました。

展示を観る参加者たち前半が終了し、豊田さんの絵を鑑賞する参加者のみなさん。仏画を学ばれた経験から、豊田さんの絵は日本画の手法で描かれていて、素朴な線の勢いや自然で微妙な色彩が心にしみます。

神戸空襲絵巻文章と絵で一連の空襲の模様をつづった「神戸空襲絵巻」は、とくに関心を集めていました。炎を描いた日本画絵具特有の朱の色彩が、強く印象に残ります。

会場風景後半は、特別ゲストの中田政子さんと日向寺太郎さんにもご登場いただき、山本研究員の司会でパネルディスカッション風に進行しました。

会場風景神戸空襲を記録する会の代表・中田政子さんは、お母さまが炎のなかを逃げまどったとき、まだお腹のなかにいたそうです。小学校を訪問しての語り部活動や戦跡ウォーク、空襲犠牲者氏名記録などの会の活動を紹介してくれましたが、自分は直接空襲を体験していないという負い目を常に自問して行動しているという姿勢に、大きな共感を感じました。
会場風景「火垂るの墓」はもともと、師匠である故黒木和雄さんが監督するはずだった作品で、それを引き受けるにあたって日向寺太郎さんは、戦争体験のない自分が監督すると浅い作品になるのではないかとずいぶん悩まれたとか。「再現しても仕方がない」「受け手が主体となるべき」という諸先輩のアドバイスで、「何を自分が受け取ったかを表現すればいいのだ」と吹っ切れて、作品に向かうことができたそうです。ちなみに「火垂るの墓」では、観る人の想像力に任せたいという思いから、空襲シーンにあえてCGは使わなかったそうです。
会場風景豊田さんは、空襲そのものを描くだけでは、戦争の悲惨さは伝わらないと繰り返すとともに、中田さんらのように戦争を体験していない世代が伝えていくことが大切と、語ってくれました。