アジア太平洋戦争の末期、1945年3月10日。アメリカ軍の無差別爆撃によって東京の下町一帯は焼け野原になり、約10万人もの人びとが命を奪われました。この「東京大空襲」をはじめ、戦争中、東京は100回以上の空襲を受け、多くの人が家財を焼かれ、傷つき、親しい人を亡くし、命を失いました。その多くは、武器をもって戦っていたわけでなく、戦時下の日常生活を懸命に生きていた民間人―女性、子ども、高齢者などでした。
 戦争中に多くの一般市民が被害を受けた出来事としては、広島や長崎への原爆投下、沖縄戦などがよく知られていますが、東京の空襲のことはどこまで知られているでしょうか。東京の空襲を専門に扱っている公立の博物館は今のところありません。
 なぜ東京は空襲を受けたのか、なぜこれほど大きな被害が出たのか、空襲のなかでどういう人びとがどのような体験をしたのか、空襲はどのような傷跡・影響をのこし、そのなかで人びとはどのように生きていったのか、日本社会はその歴史や経験にどのように向き合ってきたのか。センターを通じてそれらのことをまず知ってもらい、さらに、もっと多くの人に伝えるきっかけにしてほしい。この、「知らないなら学ぼう、知っているなら伝えよう」ということが、2002年の開館以来、民立民営の施設として東京の空襲を伝え続けてきたセンターの目標のひとつです。

 戦争中、東京だけでなく国内各地も空襲を受けました。それ以前には、逆に日本軍が中国の都市を空襲していたこともありました。そして、空襲はアジア太平洋戦争の時だけ起こったわけではなく、飛行機が誕生した20世紀初めから始まって、世界中の色々な場所でおこなわれていました。そこには、相手の反撃が届きにくいところ(空)から、つまり自分があまり傷つかない状況で相手にダメージを与えられれば、効率よく相手を従わせることができるはずだという共通の発想がありました。世界に目を向ければ、同じような発想がアジア太平洋戦争以降も続いていて、それに基づいて空襲・空爆・ミサイル攻撃が現在もおこなわれ、そこで多くの一般市民が傷つき、命を奪われ続けていることに気がつきます。このように、大きな時間・空間の枠組みのなかで空襲を学び・考えてもらいたいというのもセンターの目標のひとつです。

 東京の空襲の歴史・体験を、大きな枠組みも意識しながら、できるだけ正確にしっかり伝えていく。それを通じて、戦争や空襲の記憶の風化をふせぎ、過去の戦争を美化・正当化するような動きには反対し、戦争・空襲のない平和な社会をつくり、まもっていく。それがセンターのめざすところです。これからの平和の担い手になっていく一人ひとりが、センターを通じて空襲のことを深く学び・考え、それぞれに平和を考えるきっかけにしてくれることを願っています。

 あの戦争・空襲から長い年月が経ちました。空襲を体験した方々、募金などを通じてセンターを支えてくださった方々、そして、センターの母体となった「東京空襲を記録する会」をはじめ、これまで空襲の実態を掘り起こし、伝えてきた先輩たちも、どんどん少なくなってきました。センターは、そうした人たちの歩みや想いを受け継ぎつつ、これからも空襲を伝え続けていきます。そして、空襲を学び平和を考えるための教育の場、平和に取り組む市民活動の場、空襲を研究する場として、それらに関わる人びとがつどい、垣根をこえて交流し、お互いを尊重しつつ、ともに平和をめざして活動するための中心地(=センター)になることをめざします。
 いのちと平和のバトンを、しっかりと未来に受け渡すために。